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2015年02月06日22:21

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「戦争」の形が変わって行く、その途上。

■集団自衛権「イスラム国」にも=政府答弁書
(時事通信社 - 02月06日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3262025

これは、当然の流れなのだろう。
「国家承認」を為されていない団体、組織は
例えば領土を実行支配していようが、
武力を保持していようが、「国」ではない。
だが、現在の世界には国家同士のガチンコの
戦争は極めて成立しにくい状況にある。

アメリカの云う「正義の為の戦争」が第二次大戦以降、
敗北、成果の無い撤退、とはなはだ冴えない結果を
示し続けているように、もう「軍事的侵攻」を
持って領土を拡大しようとしたり、自国の不利、危難を
解決しようとする道、それ自体が困難な状況なのだ。

そして、20世紀まで延々とやっていた「国家間に引かれた
枠線を巡る駆け引き」から、「民族・イデオロギィ・宗教」という
「国境という枠線の無い小クラスタ」間での闘争に
事態は推移している。

「戦争」の在り様も変わるのだ。

派手にぶつかりあって、数ヶ月から長くて数年で終熄、という
お気楽な(それをお気楽でなくしたのが、大量殺戮兵器の
導入と、「国民皆兵」がギリギリ成立したある種の前近代の
尻尾に位置する第一次、第二次大戦であった)戦争は
形を変え、「別の国の人間にしてみたら全く差異が認知出来ない
程度の小異によって起こる『隣人同士の殺戮』」となっていき、
それは近く、小規模であればある程、解決は困難だ。

アメリカが鶴の一声で西側諸国をリードし、紛争国に
乗り込んで事態を終熄させる、などという水戸黄門的な
夢が見れない事は、アメリカにしてからがよく認識している。
自国民の安全確保も大事な要件となってしまった(戦いに行っているのに!)
西側には、もう地上戦による掃討、壊滅作戦など到底なし得ず、
故に散漫とした空爆に終始し、その結果として
当然の「非戦闘員」の殺戮も行ってしまい、かくて暴力は
連鎖する。

だが、日本も「その世界」の中の一国なのだ。

「戦争だから参加しません」と厭悪する人々が多いこの国で、
その類いの人々が妄想し、恐怖する戦争は、世界から
順調に駆逐(自然消滅?)されて行く中。

そうした第二次大戦スタイルの世界戦争(本当に、こういうのを
恐れている人がいて、たまに驚く)や、日中戦争の如き「侵略戦争」
(このような「生存圏確保」の為の戦争が、今最もやりにくい)、
湾岸戦争、イラク戦争のような「後方支援による戦争参加」の是非を
問うような牧歌的時代は過ぎ。

更に解決の道の模索が困難な世界に、我々の国はある。

「巻き込まれたくない」「協力を表明するから、もう一方を
挑発する結果に」という、一見「平和主義」の皮を被った
事なかれ論者の云う「平和」がこの国だけを対象とした、
非常に偏頗で小さなものである、という事は論を俟たないが、
そうした「国と国の戦争」というモデルケースが崩壊して
しまっている以上、新たな「戦争」に対応した新たな
「日本国」の模索は、国家としてしなければならない
当然の責務であろう。

そして、それは前近代的戦争、軍隊の形は取らない。
取り得ない。

「徴兵」だの「国家総動員」だの「侵略戦争」だのという
「自分の理解している戦争」の形を今の変化した世界に
むりやり当て嵌めて、その結果として状勢に全く適合しない
見当はずれの反対や非難など、邪魔でしかない。

これからの「反戦・非戦」の在り様というのは、
事程然様に難しい。

だからこそ、考えなければならないし、対処していかなれば
ならないのだ。

自分たちの生きるこの国は、「その世界」の一部である事は
紛れも無い事実なのだから。
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