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2015年01月25日11:36

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ねぇムーミン…♪

ソレは私が20歳の頃にまさかの復活を果たす。
人間で例えれば、年齢は50歳での復活劇だったよ。
今となっては何ともレトロな形状で、その姿から「ムーミン」の愛称で親しまれてきた。
しかし、Debut 当時のソレは「最先端」の技術を駆使した国鉄の Symbol 的な存在で、東海道本線の最優等列車(特急「つばめ」や「富士」など)を牽引する電気機関車だったとのこと。
まさかの復活後、21世紀になっても現役で働き続けたが、2007年に致命傷を喰らってしまい、2009年、遂にその現役を引退する。
1936年(昭和11年)生まれ。
今年で「79歳」なんだそうな。
その電気機関車とは EF55 の1号機のこと。
その EF55 に関する久々の News 記事を目にして、アレコレを思い出したわ〜。
1987年に、その「ムーミン」がまさかの復活! 
後に私が結婚して家庭を築き、子供達にも「ムーミン」が牽引する列車に乗せてあげられる事になるとはねぇ〜。
 

フォト

1999年09月25日のこと。
ところは JR-E 信越本線の磯部駅で、下り方面の2番線なり。
子供達を連れて「今日は列車に乗って遊びに出掛けよう!」と誘い出す。
子供達は「いつもの緑とオレンジの普通列車(つまりは115系)」での移動とばかりに思っていたらしい…。
で、そこに現れたのがコレだったもんだから、もう、二人とも大騒ぎ! 
今は既に二人とも成人したが、当時の長男は小学1年生、次男は幼稚園児だった。
この愛嬌ある「ムーミン」に、まだ「ちびっ子」だった頃の子供達…。
いやはや、懐かしい〜なぁ〜。
 

フォト

12系客車の指定席に陣取る。
急行型の Cross Seat に、2段開閉窓…。
窓際にはあの懐かしい Table に、四角い灰皿…。
あぁ〜、私が子供の頃の「169系電車」を思い出すようなその光景の中、そんな幼い頃の私が Time Slip して現代に現れちゃった? …かのような、何とも不思議な感覚に浸ったのを今でも覚えている。
この窓際に Table が有る車両に乗るは「初体験」だった彼等はコレだけでも大喜びで「ココにお菓子や飲物が置けるじゃ〜ん」とはしゃいでいたよなぁ〜。
 

フォト

この列車の前後端には Open Deck 付き車両が連結されていた。
前端(ムーミンの直後)の Open Deck は、ちびっ子をも蹴散らす「ど阿呆」な「鉄オタ」どものバカさ加減で危険と察し、子供達とは後端の Open Deck で楽しんだ。
その後端には、下りの終点「横川駅」で方転(方向転換)出来ないムーミン(EF55)に代わって、折り返し運転でこの列車の上りを牽引する EF64 が連結されていた。
今となっては貴重な「茶釜」の EF64 だよネ。
子供達も「機関車が真後ろ」という Location に大満足の様子…。
Open Deck は、風が気持ち良かった。
 

フォト

連結器。
日本の鉄道車両の「連結器の技術」は、その昔から「世界で最高 Level の技術」と賞賛されて来た。
写真の上側は電気機関車側の「自動連結器」で、同下側は客車側の「密着自動連結器」だ。
全世界に賞賛された「自動連結器」だが、その不具合(ガタつき)を解消させる為、旧国鉄は電車向けに「密着連結器」を開発した。
その「密着連結器」の快適性はそのままに、元来の「自動連結器」との互換性をも併せ持つのがこの「密着自動連結器」だ。
日本人の「知恵」と「技術」は、こんなところにも「凄ぇ〜よなぁ〜」と感心させられてしてしまう「もの」がある。
 

フォト

さて、その「ムーミン」こと EF55 の1号機が、遂に高崎第1機関区を去って大宮へ移動したんだそうな…。
既に「自走不可能」な状態…。
なんせ、今年で「79歳」なんだもんね〜。
お疲れさまでした。

願わくば、大宮の鉄道博物館でいつまでも綺麗な状態で静態保管して欲しいぞよ。
そして何時ぞやに、今は大人になった子供達と一緒に「ムーミン」と再会したいような…。
ん〜。
また会おう! 
会いに行こう! 
ね〜、ムーミン。

そんな想いがふ〜っと過ってしまった News 記事であった。

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News 記事より。

79歳の機関車「ムーミン」、鉄博のある大宮へ
乗りものニュース 1月24日(土)8時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150124-00010000-norimono-l11

「ムーミン」、夜の埼玉を走る
 2015年1月23日(金)の深夜、「ムーミン」と呼ばれる1両しかない電気機関車が、群馬県高崎市にある車両基地から埼玉県の大宮まで運ばれました。


EF55形電気機関車は、いまから79年も前の1936(昭和11)年に3両だけ製造された歴史的な希少車両で、現存しているのは今回運ばれたEF55形1号機(以下EF55 1)、ただ1両のみです。


このEF55形電気機関車は先頭形状がアニメキャラクターの「ムーミン」に似ているため、いつしか鉄道ファンにそのような愛称で呼ばれるようになりました。ほかに「カバ」「靴のお化け」などと呼ばれることもありますが、どれも国鉄、JRが決めた正式な愛称というわけではありません。


このEF55 1は現在自走できないことから、EF64形38号機という電気機関車にけん引される形で大宮へ移動しています。

「ムーミン」はリニューアルされる鉄道博物館へ?
 今回、EF55 1が大宮へ運ばれたことについて、JR東日本から公式のアナウンスはありません。

 ただ大宮駅近くにあるJR東日本グループの鉄道博物館(鉄博)では、2017年10月に開館10周年を迎えること、JR東日本が設立30周年を迎えるこ とから全面リニューアルと新館の建設が計画されており、展示面積は約14800平米と現在の約1.5倍になる予定です。展示車両も追加され、EF55 1についての言及はないものの初代山形新幹線400系、東北新幹線「はやぶさ」などのE5系が登場すると発表されています。


また2009年には産経新聞社がこのEF55 1について、鉄道博物館での永久展示を含めた保存場所の検討が行われている、と伝えています。

「ムーミン」が鉄道博物館入りしてもおかしくない十分な理由
 このEF55 1は1936(昭和11)年に日立製作所で製造されたのち、東海道本線で特別急行「つばめ」「はと」といった当時の日本における花形列車をけん引。そして3両だけ誕生したEF55形は1960年代にすべて廃車されますが、この1号機だけは保存されました。


その後、この機関車に対する注目が高かったことから1986(昭和61)年に復活し、群馬県高崎市を拠点に上越線などを走行。大勢の乗客を楽しませたものの、2009(平成21)年にさよなら運転を実施。事実上引退していました。


このEF55 1は太平洋戦争中に機銃掃射を受けたことがあり、その痕が残っています。また現在となってはレトロな雰囲気を感じさせる特徴的な前面形状は、昭和初期にそうした「流線形」が世界的に流行ったという事実をいまに伝えています。


人気が高く実績もあり、歴史の証人でもある79歳の「ムーミン」ことEF55 1。鉄道博物館で今後、その歴史が語り継がれる理由は十分にありそうです。

恵 知仁
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