mixiユーザー(id:3993036)

2015年01月01日11:33

25 view

【去年の振り返り:その1】

【去年の振り返り:その1】

千葉にてうつ病の治療を始めて、1年半くらい。

体調は良くなったり、悪くなったり波もあったけれど、
概ね回復に向かっていました。

体調を崩してからは、
人と連絡を取るのもなんだか嫌で、
音信不通な状態だったのですが、

2013年の12月29日。

たまに買い物に行くとか、外出もできるようになってきて、
思い切って友人たちにも連絡をとってみました。

今、自分はうつ病だと分かって、
少なくとも、大学生くらいの頃から再発を繰り返してきたこと。
今は療養生活を送っていること。
そこそこ、外出できるようになってきたことの報告でした。

今だから思うけど。

うつ病が発症している時、
誰とも連絡を取りたくなくなるのは、
俺は人前だと無意識に頑張るからだと思います。

大事な友人ならなおのこと。

”良い自分”で接していたい。

でもそれ、
うつ状態になっている時にはしんどくて無理なので、

とにかく人目に触れないところに行って、
ゆっくり充電する。

多分、僕は、
自分の

”痛み”

”しんどさ”

”疲れ”

……などに、凄く鈍感です。

限界に達して、身動きできなくなって、

周りが「おかしい」と気づくまで、そのまんま。

うつの症状がキツイ時は、
”アタマも良く回らない”という点もあるので、
そのせいなのか分かりませんけど、

本当にひどい時って、動けないのだけど、
それでも自分が疲れてるのか何なのかさっぱり分からないのです。

・体が重い
・アタマが回らない
・何も意欲が湧かない
・何をしても”楽しい”という感覚が湧かない

そういう症状は、

医師の先生から言われて、気がつく感じでした。

そう言えばそうかも、みたいな。

ただ、自分がそんな風になってしまう原因が、
ハッキリ病気として理解できたことは、良かったです。

脳みその神経伝達物質
……とか言うと難しく聞こえるけれど、
要は、

頑張るぞ!!
楽しいぞ!!
はっぴーだぞ!!

みたいな、アクセルになる物質が、
あんまり出てこなくなる状態。

それを、うつ状態だと言うのが、一般的だそうです。
(このあたりの解釈は、医学の進歩と共にどんどん変わっていくのでアレですけど)

医学も勉強していた僕には凄く分かりやすい話だったので、
自分の状態がアタマでは一応理解できて、良かったです。
(脳みそが「活動モード」にならないから、動けないのか。意欲が湧かないのか。楽しくないのか。と納得しました)

そうして、まずはゆっくり休むことに始まり、
ちょこちょこ家事とかしながら、
段々と動いたり、
疲れを感じるようになったり、
波がありながらも、
日常生活が送れるくらい回復してきたのが、
今年の始めでした。

そうして、良くなってきてはいるけれど、
やはりネガティブな状態でもある自分を、
友人たちに見せる、報告するのは、
凄く勇気が要りました。

なんだろうな。

今でも自分が愚痴を言うのも嫌いだし、
ネガティブな情報を発信する自分が嫌なんです。

弱さを見せることって、
ある種、信頼の証でもあるし、
とっても大事なことだと今では思ってるんですけど。

多分、”弱い自分”が嫌いだったんだと思います。

だから、人にも見せたくなかった。

今は……好きかどうかは分からないけど、
自分の一部として認めることができてきている……最中だと思います。

そうして昨年末に皆と連絡を取って、

年が明ける頃には、
心配を掛けまくっていた大事な仲間達から、
次々と連絡が入っていました。

バンド仲間。
高校、大学からの親友たち。
システムエンジニア時代の同期。
理学療法士の専門学校時代の同期。

元気だっていう知らせだけでも嬉しいですし、
劣悪な職場を離れ、新たな環境に飛び込んでいたり、
ライブやってたり、
曲作ってたり、
マラソンやってたり、
突然、電話がかかってきて、
実に1年ぶりくらいに友人と話をしたり、
ごっついめんこい上に友人そっくりの赤ちゃんの写真を見たり(堪りません(笑)

色々、湧いてきました。

「メシ食いに行こう!」
「カラオケしよう!」
「山に登ろう!」
「音楽談義で語り明かそう!」
「またスタジオ入ろう!」
「ライブしよう!」

……想像もつかなかったはずの言葉まで、
俺の中から出てきました。

本当に、俺は幸せ者です。

そうして、
たまに、週末は仲間と遊びに出かけるようになりました。

、、、

最初は、
サカサマギフトというオリジナルバンドを組んでいた、
元、相方……共にギターを弾いていた、あつし氏こと佐々木ちゃん。

友達というより、いつも音楽を通してやりあってきた僕ら。
あいさつもそこそこに、
彼のバンドの曲の感想やら、
僕が調子良い時にちょこちょこ録った曲の感想やら、
今ハマっている音楽、
今後やりたい音楽、
クリエイターとしてのジレンマ……バンド活動と個人活動の違い、

……いつもこんな感じなのだけど、話が尽きません。

それでいて、やっぱ違う人間だから、
目的に対するアプローチが違ったり、
同じ曲に感動しても、違う可能性を感じていたりする。

特に自分の曲に対する感覚は、
他人が聴くと全然違うから面白いです。
というか、カルチャーショックを受けます。

例えば僕の曲……アクションゲームのゲーム音楽みたいなノリで、
電子ドラムとキーボードにハードなギターを絡めた……遊びで作った曲を聞いて、

「これ、歌モノの曲になるよ。キャッチーだし。」

とか言い出すあつし氏。

自分としては、デジタルでスリリングでハードな演出をしたつもりだったので、ビックリします。
でも、よくよく彼のはなしを聴いてみると、確かに……彼と一緒にスタジオ入って
練っていけば、できるかも……!!!という気になってくる。
あくまで、あつし氏のセンスが必要ですけど。

こういう話をしていると、バンドしたくなってくる。

そしていつもの、

じゃあ病気治さないとな、
前みたいにガンガン曲作れたら良いな、

……という思考にいく。

そこで、あつし氏が言った言葉に衝撃を受けました。

「けんた君さ、『前みたいにやれたら良い』って、間違ってると思う。」
「前みたいに曲を作れない今だからこそ、できることがあると思う。」
「曲を作れない今を楽しんで、それを表現することをしないと、もったいないんじゃないかな。」

……!!!??

確かに。
……そう思った。

うまく頭が働かない。

前みたいに動けない。

前にみたいに、曲が書けない。

そんな今を歌ったものは、

元気なときには絶対に書けない歌になるだろう。

”今の自分に合った生き方を習得していかないと”

それは、そうせざるを得ないからで、
そんな風に言いながら、僕は前のようになりたいと思っていた。

そんな今を、

「今、活かさなきゃ、もったいないよ」

「もったいないよ」

……凄いな。

人生に無駄はない、とか言うよ。
長い人生、休む時間も必要だ、とか。
みんな違うんだから、とか。
若いんだから、まだまだ大丈夫、とか。

人から見れば下らないかもしれないけれど、

”今の自分に、音楽の可能性がある”

そんなことで、僕は救われる。

今が好きになれるかもしれない、と思う。

それはきっと、幸運なことだ。

ありがとう。

あつし氏の、ウルトラ・ポジティブなmindに。

ありがとう。

僕を何度も救ってくれる、音楽に。

ありがとう。

暖かく見守ってくださる、皆さんに。

、、、

そうして、僕は次々と再会を果たしていきました。

大学からのバンドのVo.、速兎氏と相方さん。
大学からのバンドのGt.(相方であり、愛弟子)、みっちー氏と奥方のさしみ氏。
同じく、大学時代からの大切な友人、○×とうふ店氏。す氏。

どれだけ心配かけたか分からないくらいのみんな。
まるで会えなかった時間が嘘のように、
いつも通りに、まったり話して、飯食って、歌って過ごしました。

久々にみんなの歌が聴けて良かった!
速兎氏、やっぱ上手くなった。声も良く抜けるし、力が抜けている。
みっちー氏も、渋く良い味を出している。

僕にとってカラオケの楽しさって、上手い下手じゃないんです。
「この歌が好き」
っていう、みんなそれぞれ違うその感じが聴けると、なんか嬉しいのです。

『思い出の曲』とか入れられると、これまた堪んないし。。。

良いなぁ。こういうの、ニヤニヤする。

まったりだけど、でも本当にあっと言う間の時間で。
(体調を考慮して、夜7時に解散)

『今』を楽しむという、あつしmindに加えて、

もっと元気になりたい、
もっとみんなと話したい、
もっとみんなと遊びたい、

という”欲”、エネルギーが湧いた再会でした。

この時は会えなかった、みよす氏や、
さしみ氏の親友カップルなど、
大学の同期を中心にしたこの集まり、『仙台藩』と僕らは呼んでいるのですけど、

本当に僕を優しく、温かく見守ってくれる、
心の支えになる存在です。

、、、

僕は仙台で生まれ育ちましたが、
関東に第二の故郷だと思っている場所があります。

横浜。
システムエンジニア時代に僕が住んでいた、
住宅街の某駅周辺です。

しょっちゅう閉まる踏切。
無駄に多いコンビニでは、ベンチに座った高校生が飯を食っています。
間違っても、デパートなんかありません。
個人商店が軒を連(つら)ね、
お客さんが居るんだか居ないんだかみたいな店が、しぶとく生き残っている。(←失礼)

心なしか、歩くひとの歩調もゆっくりです。

馴染みの、ここにしかないラーメン屋。
イカしたマスター夫妻が営む、BAR。

変わってないなぁ。

僕はここの雰囲気が大好きです。なんか、落ち着く。

しょぼいけどカラオケもあるし、
隣駅までちょっと歩けば、焼肉を始めグルメも色々ある。

歩いて、そのまま寮まで帰れるところが良いんだよなぁ。

……と、そんな記憶を辿りながら、同期の寮へお邪魔しました。

おわ、……こ、こいつわ……。

防音室じゃないか!!!!!

同期の部屋には、レンタルの防音室がありました。

組み立て式なんだろうけど、
2畳ぐらいのスペースの部屋に、
スタジオと同じような防音扉が付いている。

試しに中で、声を張ってみる……うん、良い反響だ。
ヴォーカル録りするのに、最高の環境じゃないか。
良いなぁ。羨ましいぜ。
俺も働けるようになったら、検討しようかしら。

あ、モニタースピーカーはYAMAHAか。
俺もYAMAHAだぜ。
2こ前の日記で書いた、俺の新曲を聴いてみる。
……、うん、良い音だ。やっぱYAMAHA好き。

そんなこんなで、いつものメンバーが集まってくる。
みんな、変わらない。
ただ俺を含め、、ちょっと丸くなったかな。輪郭が(笑)

システムエンジニアは、座り仕事だからなぁ。
どうしたって、不健康になる。
今は幸い、みんな仕事は忙しくなさそう。
……嵐の前の、静けさ……とも言うけれど。
ともあれ、タイミングが良かったみたい(^^)

お陰様で俺も回復してきて、
横浜まで会いにこれたのは本当に嬉しい。
みんな元気で、それが1番嬉しい。
なにより……やっぱここも、俺のホームなんだと実感。

ひととおり話した後、カラオケへ。

演歌、
ボーカロイド曲、
マキシマムザ・ホルモン、
B'zやGLAY、
ジブリの映画曲、

相変わらずというか、
ますますバラエティに富んで、楽しかったです。

その後は、お待ちかねの焼肉でした。(17時開店から入店)
もう、焼肉久しぶり!!!!!!!!!
あの日だけはダイエットを忘れました(笑)

ユッケとか冷麺とか久しぶり!
ニンニクたっぷりのカルビとか最高!!
嘘か本当か、千円ちょっとで頼める、シャトーブリアンも食べてみました(笑)

昔は良く食った……というか、
飢えた獣の集まりのごとく、
大量の肉と、
特盛のご飯が、
瞬く間に消えていったもんですが、

今の僕らは紳士的です(笑)

1度に頼む単位も、
1皿とか2皿ずつだったし、(以前は5皿とか)
ペースもじっくりで、
18時半くらいには、いい具合に満足しておりました。

ああ、本当に、
俺はみんなと、この町が好きです。



、、、


……と、そんな風に、
2014年の始めは、
関東圏の友人たちに会いに行くことから始まりました。

そうやって、大切な仲間と再会して、
同じ時間を過ごす中で、
僕の体調も、1段、ギアが上がった感じで良くなりました。

家事も苦にならなくなり、
掃除に皿洗いやゴミ捨てなども元気に行うようになりました。

活動は、ペース配分を考えて、
最初は夜7時に解散、とかそんな感じだったけれど。

あ、そうそう。
今年の始めは、太ってたんです。

173cmにして、83kgぐらい。
もともとの体型から、20キロくらい太ったのです。
(今は、62,3キロに戻ってきました)

なんでかというと、
うつ病の治療を始めたことで、

・運動を禁止された、カラダがだるくて横になっていることも多かった
・食欲が増進する薬を飲んで、よく食べるようになった

という2点が重なって、
1年半の療養期間に太ってしまったのです。

でも当時、
まだ激しい運動は止められていたので、
階段の昇り降りとかの軽い運動と、
炭水化物を減らすダイエットを始めました。

体調はまだ波があって、
友人と遊んだ翌日は疲れが出てグッタリしましたが、
とにもかくにも、少しずつ活動量は増えていきました。

それが2014年の1〜2月くらいです。
続く。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する