mixiユーザー(id:763374)

2014年12月31日17:15

41 view

レボリューション!

まわりのマンガ家の友人から言われることがある。

「大学に行ったからって、マンガ家になれるわけでもないし、マンガ家を目指すのなら、大学に行くこと自体が間違いじゃねぇの?」

その答えに対して、「全くその通り」とぼくは答えている。

高い入学金、授業料を考えると、たとえばぼくなら、世界中をその金でバックパッカーで旅をする道を選ぶ。
ハッキリ言って2年はバックパッカーで十分旅を続けられる金額なのだ。

10代でひとり世界を旅をすることで、いくつもの人、自然、街などとの出会いがあり、ひとりで世界を歩けば、「死」を感じることも間違いなく何度か経験することになると思う。
そうすることで、生きていく上での大きな「成長」を遂げ、その経験が人とは違う作家としての道を切り開いていくことにも間違いなく繋がっていく。

だいたい、マンガ家は「作家」なのだが、「マンガ家」になりたいと大学へやってくる学生は、どうも「作家」という意識があまりないようだ。

そしてマンガ家を「職業」ととらえているようにも思える。
ぼくはマンガ家というのは「生き方」だと思っている。
もっと言えば、ミュージシャンも、スポーツ選手も、役者も、フォトグラファーも、、フリーで生きているすべての人は、その「生き方」で生きているということだ。

たとえばプロ野球選手として10年生きていける選手は、本当にほんの一部である。

プロ野球選手になるものは、子供の頃から天才と言われ、高校・大学など、学費免除の特待として歩み、アマチュア界では間違いなくスーパースターとして生きてきて、それでもまずプロになれる選手はその、スーパースターの中から選ばれた一部の選手だけである。

そして、その選ばれたプロ野球選手で10年生きられる選手など10パーセントもない確率だ。
プロ野球の最低保障の年間440万円を基準にすると、マンガ家も、ミュージシャンも、役者も、フリーで生きるだいたいが、プロ野球選手と同じ確率になってくる。
何十万の競争の中、勝ち抜いたそのほとんどが、440万以上を十年つづけて稼げない世界だということである。

つまりはそういう場所なのだ。

フリーで生きる生き方を選んだものが、大学へ行ったからといって、まずなれるものではない。

ぼくは大学へ行くようになってから、まず、「マンガ家」は生き方だと考えるようになった。
そして、大学を利用して生きるにはどうすればいいかということをずっと考えはじめるようになった。

簡単にいえば、大学へ来るということは、大きなお金を払って何かを得ようとするわけで、そのお金でできる2年間バックパッカーで世界を旅する以上の経験を、大学でできるかと言うことだ。

答えを言うと、大学という場所は、その何倍もの経験ができる場所になる。
これだけは間違いない。
実際、ぼくは自分でその道を切り開いていると思っている。

大学というところを考えると、まず研究機関である。
ぼくは、この場所で、デジタルに関しては、世界で最初のケータイで見るためのマンガを創らせてもらった。
今、ブームが来ている「モーションコミック」は8年前に創って、学生と創った作品が、メディア芸術祭で賞をもらっている。

3Dのマンガソフトも、これも大学ならではなのだが、3Dに詳しい帝京大学の理工学部の先生と開発させてもらった。
こういった他の大学へ行って研究できるのも大学だからこそである。

文科省の委員にさせてもらい、マンガを教える大学において、大学を卒業したあとの出口を考える会議に毎回出させてもらっているのも大学にいるからだ。

そしてこの5年ほどぼくが動いている一番が、国、県、市の行政と組んで、マンガがマンガの世界以外でどう利用できるかということだ。
単純なところでは、観光や福祉などのパンフレット、ポスター、冊子、デジタル配信、キャラクターデザインなどをもういくつも創ってきている。
民間とも、もういくつもキャラクター、会社案内などマンガで創ってきた。

学生にはもちろん原稿料も、出版社よりは多く払えているし、何より、そのマンガを使って、会社のデザイン部や、マンガが描けるということでほしがる企業で働く道がいくつもつくれていることだと思っている。
大学を利用して、マンガで生きる道に進むという生き方だ。

作家としてのマンガ家の部分では、自分の作品は、一生描いていけるし、コミティア、ピクシブなど、発表し売る場所など、今の時代、いくつもあるし、またどんどん新しいプラットホームは生まれてきている。

ぼくは今、目は海外に向けている。
先日もフランスの出版社より、これからに向けてとても嬉しいメールをいただいた。
また、大きな動きではア○ゾンと新しいことがマンガを使いできるかもしれないとも思っている。

ただし、このすべては、大学へ来ただけでは何もおこらない。
マンガ家を目指すと、ただ机にかじりついているだけの学生には何もおこらない。

大学へ来て、大学を利用して、だれよりも行動したものだけが見えてくる道だ。
それはお金を手にして、「何」に使うか…バックパッカーで旅に出なければ、経験も成長も、得るものはまったく違ってくる。

2014年はぼくにとって大きな挫折もあったが、とてつもなく大きな経験と成長、そして「縁」が生まれた一年だったと振り返り思っている。

2015年は、その動いたことによって、「形」にしていく年だとぼくは思っている。

来年はレボリューション!(革命)の年だということだ。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年12月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031