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2014年12月14日20:33

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【世界は人の数だけある】

【世界は人の数だけある】

昨日は、
色々な方の話を聴く機会がありました。

今日は、日記というか、
僕が昨日の刺激を受けて感じていることを、
書きたいと思います。

1つは、
14時〜16時の、
誰でも500円で参加できる、自由な勉強会、「羅須知人会」。

今回は、
「過剰商品化する社会」というテーマでの5回講演の第2回。

東北大学の田中史郎教授より、
「株価決定の理論と金融商品」
というテーマでした。

内容については、
また別に日記に書きたいと思います。

2つ目は、
夕方〜深夜にかけて、
シェアハウス「リバ邸仙台」にて行われた、鍋パーティ。

まずは、主催して下さった大将!!
本当にご馳走様でした!!

鍋奉行を頑張ってくれたオノタカも、本当に感謝です!!
とっても美味しかったです!!ありがとう!!

さてさて、
その2つのイベントに参加して僕がつくづく感じるのは、

”常識”

というのは、
その時々で本当に簡単に変わってしまうものだ、
ということです。

学校で教わる歴史や、ものの考え方。
例えば経済学にしても。
政府の指針が反映されています。

考え方って、
環境にも凄く左右されると思います。

逆に言えば、
違った考え方をしている方の話を聴くと、

全く違った世界が見えてきます。

それが、

”正しい”

とか

”間違ってる”

とか、

そういう判断は、僕はあまりしません。

「この人の世界は、こういう世界なんだ」

「この人には、世界はこういう風に見えているんだ」

と、感じる。
考える。

まず、そこから。

僕らは、
同じ地球の上で生活しているわけだけれども、

例えば、
世の中に「真理」というものがあって、

それに従ってれば大丈夫とか、

それを知らないと損だとか、

そういう考えは、あまりないです。

ものの見方はたくさんあるし、
定義には矛盾や限界があります。

世の中に完璧なものなんてなくて、

矛盾や限界も含めて、
存在するのが自然だと思うし、
それで良いと思います。

それで、

その時々で自分なりの答えを出して、
(ものによっては自分なりに色々調べたり、他の人の話も聴いたりしながら考えて)

(もしくは、答えを出さずに感じるままに……とかも全然アリだし)

歩いていけば良いと思うのです。

僕は僕で良いし。

君は君で良い。

……ともあれ、生きている限り問題は尽きません。

政治の問題なんかは、
僕らの生活、未来に直結している問題なので、
みんな人それぞれで良い……とは言い切れませんが。(^^;)

問題解決のために、
一致団結することが必要なこともあります。

それはそれとして。

そうして、
自分の見えている世界とは違う世界を持った人と出逢い、
話をすると、

互いの世界が干渉し合って、互いに変化するように思います。

新しい発見があって、世界が広くなったり。

分からないことが増えたり。

時には、反発することもあるでしょう。

そんな時は、自分の世界の壁が固くなって、
頑丈に守ろうとしているというか、
なんだか、ガチっとしていると思います。

「あんなの、おかしい」

とか思って、
自分の世界を確かめ、
それを大事に……ちょっと意固地に、守ろうする感じがします。

それも、自分の世界の平和を守るためならば、
アリだと思います。

自分の世界がひっくり返るような価値観を受け入れるのは、
大変なことです。

そうやって自分の壁をぶっ壊すのも楽しいですし、
それもまたアリだと思うのですけど。

無理して自分が壊れてしまっては、
何にもなりません。

また、
それとは逆に、なんだか世界が柔らかく、
そして優しく広がっていくこともあります。

人に共感する時、
受け入れてもらったり、
受け入れたりする時がそう。

似ているようで違う2つの世界が、
一緒に揺れて、重なって。
くすぐったくて、なんだか嬉しくて、不思議なものです。

そうすると、
自分の世界で邪魔になっていた荷物が、
いつの間にか、軽くなっていたりします。

ますます不思議です。

きっと、世界が混ざって変化した時に、

邪魔だと思っていたものにも、
居場所ができたのかもしれません。

それに……そう。

自分の世界の居場所が、
他の世界にもある……というのは、
とっても安心する、素敵なことです。

きっと、世界が触れ合った時に、
お互いのカケラが混じって、相手の中に置いてきたのです。

僕の中に、大事な仲間のカケラがあって。

仲間の中にも、僕のカケラがあるのです。

だからでしょうか、
そういう相手とは、距離が離れていても、
なんとなく繋がっている感じがします。

「人間、1人じゃないよ」

っていうのは、
そういうことなんじゃないでしょうか。

んでも、自分の世界は、
体調やら何やらで常に変化します。

生きてるんですから。

だから、
目の前のことで必死になっていると
世界も狭くなっていって、

自分の中にある誰かのカケラとか、
誰かの中にある自分のカケラとか、
忘れてしまうこともあります。

自分の世界がどんなだったのか、
忘れてしまうことだってあります。

ある種、それも人生だと思うのですが。

そんな時は、
1人でじっくり自分の世界を取り戻すのも良いでしょうし、

誰かが世界をノックして、
広げてくれるかもしれないですし、

なんなら、そのまま突っ走るのも人生です。

……こんな僕の考え方も、
1つの世界でしかなくて。

他の方には、他の方の世界、答えがあります。
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