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2014年12月07日07:26

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『露土栖通信 第参拾八號」

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 ロードス書房さんから『露土栖通信』が届いた。この9月に亡くなった店主大安榮晃さんが生前準備しておられた目録を、奥さんの立子さんがその遺志を継いで発行されたのである。
 『ロードス書房 店主 大安榮晃は、○月○日○○○時、病気の為死去いたしました。葬儀は○月○日に家族親族だけで密葬にて終了しております。長い間お世話になりました』、と奥さんの「ご挨拶」冒頭にある。これは、店主がこの目録のために書き遺した「ご挨拶」の文言ではないだろうか。目録38号が出るときにはすでにこの世にいないことを覚悟しておられたようだ。
 奥さんは、≪「サンパル古書の街」の変遷、震災、公社との裁判、次々と続く中、古文書にも熱中し「坂東直三郎日記」を刊行、家族、親戚、他人の世話にも奔走しました。「自衛官は命を掛けているって言うのを聞くと腹が立つわ。僕らも命懸けや」―傍から見ると、報われず、儲からず、店に居らず、止めてと言いたくなりましたが、個人店主の気概か、「さあ!(ここがロードス島だ)」と、止むに止まれぬ熱に動かされ、止まるどころか加速しているようにさえ思えました。≫と書いておられる。
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 街の草の加納さんが「『ロードス通信』と『本棚』のことなど」を寄せておられる。『ロードス通信』、共同目録『本棚』の発刊、姫路、芦屋での古書展開催など、ロードスさんが中心になって取り組んだ神戸古書界の歴史が綴られている。2010年秋の「芦屋の小さな古本市」に参加させてもらったことを思い出した。こちらは気楽な一参加者だったが、「ああ、シンドい。もうやらん。二度とやらん」とロードスさんは言っておられたそうだ。2004年に亡くなった「間島一雄書店」さんとは終生のライバルだったと、≪私の記憶に残っているふたり並んだ最初の記憶は、サンパル古書のまちの通路での、猛烈な言い争いだった。二人とも、いまにもつかみかからんばかりに激昂していた。今思い起こして、おかしくて悲しくて、ようやく涙があふれだすのを感じる。≫と結んである。
 長女の羽生子さんの「父のこと」の最後は、≪父は38号に自身の追悼文を載せるつもりだったらしい。もし書いていたらこんなことを書いたんじゃないかと思う。「線香もお参りもいらんから、本を買って欲しい」≫となっている。

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