また、父祖母は非常に「お金」に執着の強い人だった。
だから「財布がない、通帳がない」「●●に盗まれた」と大騒ぎするのは毎日のことだった。
「自分にとってこれは大事だ!」と思ってるから、他人に見つからないところに隠すのだが、「どこに隠したか」を忘れてしまう。
* * * * *
大きな鏡に写った自分の姿をみても、それが「自分」だとは分からなくなってしまった。
たびたび風邪や肺炎で入院したが、お医者さんの言うことをことごとく打ち破る暴れっぷりだった。
「この状態では絶対歩けません!」と医者が断言したにもかかわらず、導尿チューブを自分でひっこぬいて歩いてトイレに行き、病院の中で迷子になったり、点滴のチューブで「蝶々結び」をしたり、点滴の針を引っこ抜いたり、していた。
亡くなる直前は、起き上がることもできなくなり、妄想や幻聴が聞こえていたみたいだった。
ワタシが生きてる父祖母を見た最後の風景は、寝ている布団の中で「刀、持ってこーい!」と叫びながら、両腕を振り回している姿だ。
枕元に座って「どうしたん?なにかおるのん?」と尋ねても、もうワタシには反応せず、「そんなに腕振り回したらアカンよ」といって両腕を押さえたら、腕の力だけで布団ごとずりあがってこられた・・・・あの細い腕のどこに懸垂する力があったのか。
たまたま叔母が数日預かってくれていたときに亡くなったので、本当になくなる直前のことは伝聞でしか知らない。
父祖母が亡くなったのは、ハハが不審に感じだしてから10年くらい経ってからだったと思う。
実際に、ウチにいたのは、3〜4年くらい・・・・かなぁ。
もっと短かったかもしれない。
* * * * *
ワタシは父祖母が大嫌いだった(何回も書いてるけど)。
「こんな生活がいつまで続くんだろう」と思ったし、階段の上でブツブツ言ってる父祖母を「・・・ちょっと突いたら落ちるんとちゃうか・・」と思ったことも、1度や2度ではない。(実行してませんよ!)
それでも、今、当時を思い出すと「全く情報がなかったから仕方ないけど、あの時こんな風にやってあげたら、少しは安心したかもしれんなぁ」「少しは穏やかにすごせたかもしれんなぁ」と、気の毒に思う。
んで、今、ハハの介護をしているワタシが、結構ヘラヘラと暮らしているのは、父祖母のときのことを思い出して「あの時やって失敗したことはしない、他の方法を考える」ようにしてるからだ。
だから「この人、認知症だ」と思ったら、さっさと受け入れてしまった方がいい。
勿論、父祖母とハハは、性格が全く違う。
ハハは父祖母と比べるとずいぶんと扱いやすいと思う(進行して地が出てきたらしらんけど〜)。
なによりありがたいのは「お金」に執着していないことだ。
そして、ムスメのワタシがいうのもなんだが「扱い方を間違わなければ、すっごい素直」。
ただし、酔っ払うと非常にタチが悪い(笑)。
反対に父祖母は「お酒」というものが大嫌いで一切飲まなかった。
だから、「アルツハイマー型の認知症の患者さんの扱い方」って、スタンダードなものっていうのは、本当はなくて「ひとりひとり、違って当たり前」なんじゃないのかな・・と最近思う。
別に「協力して何かを成し遂げ」ないといけないものでもないし、「扱いにくくならないように注意して扱う」。
軽度のうちは「忘れることが非常に激しいという『個性』を持った、以前のままのその人」なのではないか、と。
まぁ、こんなこといってても、この先どうなるかわかんないんですけどね。
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