我が家にやってきた父祖母は、いつも玄関の上がり口か、2階の階段の降口に座って「ここはどこや、帰りたい、家に帰りたい」とブツブツつぶやいていた。
しばらくして分かったことだが、父祖母のいう「家」とは50年以上住んでいた「チチの実家」ではなく、「父祖母の生家」のことだった。
そして「家に帰る!」と言っては、ワタシ達の気づかないうちに(ってか、そういうところはなんかすごい上手かったの・笑)、四つつけてあるドアの鍵を全部はずして行き先もわからないまま、ものすごいスピードで出て行ってしまうのだ。
普段一緒に出かけているときは「足が痛くて歩けない」と、ヨチヨチとしか歩かない人が、だ。
警察のお世話になったこともあるし、どこにいったか分からない父祖母をさがして、(ワタシが)着のみ着のまま、自転車で大阪の繁華街まで探しに行って、ツギアテだらけの「どてら」を酔っ払いの団体に指差して笑われたこともある。
徘徊する体力がなくなってくると、自分の子供であるチチや叔母たちの存在すら忘れ(産んだことを忘れるのよ)、チチのことを「自分のお兄さん」だと思い、ウチは「旅先の宿」で、ワタシは「宿で働くけなげな若い女中さん」になった。
「他のお客さんは皆もう出発されましたか?」と尋ね、「おおきに、これ、内緒やけどとっとき」と、押入れに入っていた袋に入ったままのシーツをチップに貰った。
チチから大声で怒られると、ワタシに向かって小声で「あの人ヤ●ザやから、アンタもかかわったらアカンで」と忠告してくれた。
明治生まれの父祖母は、一年のほとんどを着物で通していた。
・・・つまり「パンツ」を履いていることはほとんどなく、「お腰」もしくは「着物用のパンツ(トランクスの切れ目がお尻のほうまである感じ)」しか身につけていなかった。
ということは、オシッコもウンチも・・・・そりゃえらいことでしたわよ(「あ、アーモンドチョコが落ちている」」と思ったら・・・とか・笑)
一応「便意」は感じるらしく、自分でトイレに行こうとするのだが、間に合わないことも多かった。
今みたいに「パンツ型のおしめ」がなかった当時の「おしめ」などというものは、異物感満点で(しかもそれまでもパンツなんて履いてなかったのだ)、装着しても自分ですぐにはずしてしまい、はずしたおしめを小さくちぎって部屋の中や、窓の外に散らすのだ。
(つづく)
ログインしてコメントを確認・投稿する