結構キョーレツな、父祖母の話をしよう。
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父祖母の様子がおかしいことに最初に気がついたのは「長男の嫁」であるワタシのハハだった。
チチの実家の都合で、ハハはほぼ半日、チチは夜2〜3時間、チチの実家に毎日通っていた。
ハハが初めてチチにそのことを相談したとき、「お前はオレの親をキ●ガイ扱いするのか!」と滅多にそういう言い方はしないチチが怒ったそうだ。
確かに、ワタシに似て「瞬間湯沸器」なチチだったが、そういう物の言い方をした記憶はワタシの記憶にはない。
現在、自分が直接「認知症」と対峙するようになって、わかる。
一日2〜3時間だったら、多分気づかない。
ましてや、チチは長男で、男で・・・実家に行ったからといって、父祖母とは挨拶程度の会話しかしなかったから。
ハハは、チチの妹たちに相談した。
その頃叔母達は、もう全員実家を出ていたので、やっぱりわかってもらえなかった。
「義姉さん、ひどいこと、言う!」と、4人もいる叔母達からかわるがわる責められたと言う。
彼らが特別なのではないのだ。
同居してない実の子供の反応というのは、こんなものだし、若干不審に思うところがあっても「自分の親に限ってそんなことになるはずがない」と認めることはなかなか出来ないのだと思う。
それでも、父祖母は一人暮らしをしていたものの、商売をしていたので、「なんか、おかしいで」「最近、鍋ばかり買ってくる」という声が店員さんから聞こえてくるようになり、証拠の品をいろいろ見せられると、チチも認めざるを得なくなった。
当時はまだ「認知症」という呼び方ではなく「老人性痴呆症」とか「脳軟化症」とか「アルツハイマー」とか、非常にざっくりとした呼ばれ方をしていた。
でも、治療法など何一つ、薬すらなくて「家庭で家族が介護する」か「施設に入れる」しか選択肢はなかった。
ワタシの周囲では「施設=キ●ガイ病院(というか、どんなところに入居するのかすらわからなかった)」だったので、当たり前のように「長男」であるチチが面倒を見ることになり、それは実質的に「ハハが父祖母の世話をする」そして「そのフォローはウチの家族がする」ということだった。
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父祖母の自宅(チチの実家)と我が家は、ゆっくり歩いても15分もかからない距離にあった。
なので、最初は「日中は実家で、夜はウチで見守る」感じになった。
でも今思うとこれは、父祖母を混乱させただけだったのではないかと思う。
「長男の家に泊まりに行く」と言っても、短いスパンで忘れてしまうから「自分が今どこにいるのか」と、ただ不安にさせただけだった・・・ハズ。
日中の行動にも顕著に異常が見られるようになったので、終日ウチに引き取ることになった。
これは、多分先よりももっと混乱と不安を招くだけだったのだと思う。
当時、ワタシは近所でアルバイトをしており、勤怠に多少の無理はきいたので、昼間の父祖母の見守りをハハに頼まれることもあった。 (つづく)
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