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2014年07月01日16:43

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【ぷち仙台旅行(引越し準備)終了:出会い、再会】

無事、千葉に帰ってきました。(^^)
次に仙台行く時は、引越しです。

既存の家具を移動させたり、固定したり。
千葉から送った荷物を受け取ったり。

うん、これでどうにかなりそう!!

どんな新生活になるのか。
特に社会復帰とか、不安もあったんですけど、
今は、なんとかなりそうな気がしてます。

というのも、

……最悪のケースを想像してみても、

またうつ病を再発して、仕事を失うっていうぐらいのもので。

それは既に経験済みだし、実際に僕は今、それでも元気に生きているわけでありまして。
(家族や友人の支えがあってこそ、ですけどね!)

”将来の不安”

って、漠然として良くわからないから不安なのであって、
良くわかってることは、意外と大したことないのかもしれない。

そんな風に、思うようになりました。

……そりゃ、親だっていつまで元気か分からないし、
状況なんて、いくらでも変わるもんだと思うけど。

それ考えてたら、キリないし。

結局は、今できることをやるだけですし。

、、、

こんな風な考えに至ったのは、ある出会いがきっかけです。

金曜日の夜、主に新潟で活動されている、坂爪さんという方の話を聴きに、仙台のカフェへ行きました。
(高橋歩さんのトークライブで知り合った友人:ズッキーの企画)

そこで聴いた話は、想像以上にぶっ飛んでいて。

ここからは、坂爪さんがフェイスブックに挙げた文章を引用させて頂きます。

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1・この前の金曜日に仙台でトークイベント(?)を開催してきました。
私は相変わらず話がど下手クソですぐに良からぬ方向へと脱線してしまうために、
改めてここに話したことや話したかったことをまとめます。

2・私は私に頻繁に言い聞かせている言葉があります。
それは『人と違うことを恐れないでください』ということです。
私は5年位前に躁鬱病と統合失調症と椎間板ヘルニアのトリプルパンチをくらって半年間ほぼほぼ寝たきりの生活をしていました。
自暴自棄&薬の副作用による頭痛と腰痛のストレスによる過食も繰り返し、
今よりも20キロ以上太っていました。
顔面はまるで(ブラックマヨネーズの小杉似の)腐ったトドみたいでした。

3・椎間板ヘルニアは半年で治りましたが、
メンタルヘルス(主に鬱病)は半年経っても一向に良くなりませんでした。
精神科医には『君は重症だから治るのに三年はかかる』と言われたので、
私は『どうせ薬を飲んでも飲まなくてもつらいのだから、(どっちにしてもつらいのならば)薬やめちゃえ』
と思って通院するのをやめました。
結論からいうと、私の体調はおよそ8ヶ月で全快しました。
薬をやめたおかげなのかはわかりませんが、
もしも『完治までに三年かかる』という言葉を信じてずっと薬を飲み続けていたら、
今とはまったく違う人生になっていたのだろうなと思います。

4・ヘルニアが治ってから、
『このままではいかん!この体重ではあかん!』
ということでダイエットをはじめました。
時間だけは腐るほどあったので、カロリーの低いご飯を自分でクックパッドとかで調べてつくって食べるようになりました。
料理は想像を超えて楽しくて(無心になれる、嫌なことを考えないで済むのが最高)、
私は毎日必ずひとつは未知の料理にトライするように自らを仕向けました。

5・料理を続けているうちに、
『これは面白いぞ、みんなでやったらきっともっと面白いぞ』
と思うようになり、
試しに料理イベントを開催しました。
初回は皆で豆腐ベーグルをつくりました。
これが奇跡的に大好評(きゃー!)で、
これをきっかけにいつしか定期的に新潟と東京で料理のイベントを開催するようになりました。
これが不死鳥・坂爪による二度目の人生のはじまりでした。

6・料理が与えてくれた教訓は本質的で、
『この世にあるものはすべて自分でつくることができる』
という極めて重要な視点を与えてくれました。
一見難しそうに見えるものでも、必ずどこかにそれを作るためのレシピが転がっています。
これは料理に限らず、生活のあらゆる局面で生かされる教訓になりました。
生きるためのレシピはないけれど、
生きるために必要なもののレシピはそこら中に転がっていることを知りました。

7・やがては料理の仕事の依頼まで来るようになりました。
世界の料理のレシピ作成を頼まれたり、
飲食関係で起業した友人の仕事を同じ一軒家で暮らしながら手伝ったり、
台湾で料理教室を開催したり、
来月からは永田 裕美子 さんが佐賀県武雄市でOPENする『いのししカフェ』のお手伝いもすることになりました。
料理が運んでくれたご縁は半端なくて、人生は本当に何が起こるかわからないのだと思いました。

8・半年間の寝たきり生活は死ぬほどつらかったのですが、
その生活がなければ、今の生活がなかったこともまた真実です。
私は三人兄弟の末っ子でもあるためにすぐに調子にのるのですが、
これはGODが私に
『調子に乗るなよ、ここで一回死んでおけ』
というメッセージを込めてくらわせてくれた愛のパンチなんだと思うようになりました。
もしもあの時寝たきりの生活を送っていなければ、
決してダイエットを通じて料理と出会うこともなく、
今の私が味わっているこんなにも面白い目にも出会えていなかったのだと思います。

9・その瞬間は
『大丈夫かな』とか
『怖いな』とか
『こんなことをして何になるのだろう』と思うことがあったとしても、
必ず何かしらの形で後に生きてくるのだということを実感しました。
繰り返しになるけれど、私は私に頻繁に『人と違うことを恐れないでください』と言い聞かせています。
人と違うことは時に自分を不安や孤独にさせるけれども、
人と違う部分こそがその人の価値になるのだと信じるようになりました。

『人と違うことを恐れないでください』ということを自分に頻繁に言い聞かせています。
自分がやっていることが必ず何かにつながると信じること、
どのような生き方だとしても良いから、
自信を持って、胸を張って誇り高く生きるということ。
ハッピーな日々を送るのに必要なものはそれ位なんじゃないかなと思っています。
今日の新潟は快晴です。6月最終日だよ皆さま!!幸あれ!!

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僕は今のところ、何か変わったことをやりたいと思っているわけではありません。
ただ、カラダも動くようになってきたし、なんか働きたいなーって。

で、自分にできる範囲で、ハッピーでいられる働き方ができたら良いなと考えています。
詳細は、ハッキリ言って、ノープランです。
色々調べたりもしましたが、なんというか……そんなにこだわる必要もないような気がしてきました。
俺にできることで、良いのがあれば、それで良い。

後は、音楽。

僕は音楽でお金を貰いたいわけじゃないけど、
自分が本当に「良いな!!」「最高だな!!」って思う音楽を創りたい、演りたい。
それは、ライフワークとして続けていきたいと思います。

それから、NPO法人「STELA」。

もっと「良いな」って思える明日へ、アクションしたい。
そんな機会を与えてもらったのがSTELAです。
自然エネルギーの普及が目的で、
当面の大きな目標は、石巻に民間出資の風車を建てること。

うん、そんな感じです(^^)

、、、

それから月曜日、千葉に帰る前にも、素敵な再会がありました。
仙台の二日町……地下鉄南北線の北四番丁駅からすぐ近くで、”リバ邸仙台”というシェアハウスをやっている男です。
通称:オノタカ。

週末には、石巻にできたライブハウス:ブルーレジスタンスを手伝っています。

最初に出会ったのは、高橋歩さんのトークライブ。
音楽が趣味、で意気投合したのですが、
凄く独特な考えを持った男です。

人生観や、人間観。

彼がよく言っていたのは、

「人の居場所を創りたい」

ってこと。

”リバ邸仙台”は、
全国にいくつもある、リバ邸というシェアハウスの1つで、
リバ邸は現代の駆け込み寺とも呼ばれています。

心に傷を持っていたり、
何か問題を抱えていたり、

そういう方でも、気兼ねなく入れる場所。

雨風しのげて、シャワーもあって、仲間も居て。。。

あ、もちろん、ただ単に、シェアハウスに住みたいって方も大歓迎です。
興味ある方は、僕に連絡下さい。
もしくは、フェイスブックのリバ邸仙台を見てみて、コンタクトとってみると良いです。

リビングは外部の方も自由に使える開放スペースで、
最近では
「みんなでワールドカップを観戦しよう!」とか、
「自分が立ち上げたイベントのミーティング場所として使いたい」とか、
……と、色々な使われ方をしています。

そういう、外部の方と交流する機会があるのも、リバ邸の魅力の1つ。

応援してます。(^^)b

そんな彼と、色々とディープな話をしたり、
生で弾き語りを聴かせて貰ったり、(良い歌だったよ!一緒に音楽やりたいって思った!)
500円ランチを楽しんだり、
夢の話をしたり。。。
楽しかった!!!

また、仙台に越してきたら、宜しくね!!
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