mixiユーザー(id:809122)

2014年06月15日13:55

27 view

清明上河図

「清明上河図 」北宋時代
張擇端
24.8×528cm 北京故宮博物院


 「せいめいじょうがず」と読みます。中国北宋時代、当時世界最大級の都だった開封(かいほう)の賑わいを精緻に描いた絵巻物です。この絵は知る人ぞ知るというより、これを知らないの?と言うくらい有名な作品。中国を代表する名画であり、世界の美術の歴史でも第一級の芸術作品と言えるでしょう。

 とはいえ美術(アート)という概念は西洋が発明したものであって、この東洋の至宝をそうした西洋的価値観で測ることはできません。まずこの作品は一つではありません。時代時代に制作され40〜50の類似作品があります。当然作者も多様で、誰が描いたかということもあまり重要ではないのです。オリジナルはこの図版の北京の故宮博物院に所蔵される張択端の作とされていますが、それが本物かどうかもわかりません。故宮博物院の作品の9割がレプリカ・贋作という噂もあるのです。

 中国では作品そのものの価値より、それが生み出される芸術的境地をより重んじる傾向があります。その境地を追体験することが重要であり、作品はその鳥羽口に過ぎないと考えているのです。

 書道においては創作を追体験する行為として臨書というものがあります。臨書においては、形だけを真似る形臨から、その意を汲み精神に至る意臨、そして見なくても書けるようになる背臨に至るという段階があります。絵画においても同じことが言えます。ただの真似から極意に至る。それゆえこの清明上河図もたくさん存在し、その到達する境地によりそれぞれが価値を持っているのです。実際、18世紀清の時代に5人の宮廷画家によって描かれた「清院本」と呼ばれる清明上河図を最高傑作だとする見方もあります。(こちらは台湾の故宮博物院にあります)

 よく中国は著作権意識の希薄な国だと批判されたりします。コピー商品や偽ブランド品、模倣キャラクターなどが溢れかえり悪びれる気配もありません。それもそのはず、彼らは心根にはそれが悪いことだとは映っていない確信犯なのです。しかしそれを文明国にあるまじきとんでもないことだと非難するのもどんなものか。

 模倣こそが技術進歩の礎です。模倣し広まることで技術は社会に定着します。著作権や特許など知的財産権は創作者発明者の権利を保護しますが、模倣を制限し、そのことが社会全体から見たら発展を疎外することになるのです。例えばニューコメンやワットで知られる蒸気機関にしても、トーマス・セイヴァリという発明家が特許権を独占していたためなかなか広まらなかったのが、1733年の特許満了による自由化によって、その後爆発的に利用され改良され、そのことで結果的にイギリスに産業革命がもたらされました。特許権がイノベーションを疎外していたのです。

 あるいは、ITの世界にはGNU(グヌー)プロジェクトというものがあります。リチャード・ストールマンというプログラマが提唱したフリーソフトウエア運動で、創りだしたプログラムを権利で囲い込まずすべての人が自由に共有しようとするものです。その方が結果的により豊かで実りある技術革新をもたらすからです。最先端テクノロジーの思想は知的所有の権利を否定しているのです。

 今や技術大国として世界に先駆ける日本だって、ほんの3,40年前は猿マネと罵られながら欧米の先進技術を模倣しまくっていました。西欧文明にしたって、中国で発明された紙や羅針盤や絹の技術を必死に盗んで自家薬籠とし、発展したのです。
そう考えると中国の模倣の精神は、周回遅れと見えながら実は先頭を走っているのかもしれません。
 事実、アートの世界では、現代美術と呼ばれる最先端の分野では、オリジナリティや唯一性を否定するポップ・アートやマルチプル、あえて模倣だけするアプロプリエーション・アートというジャンルさえあるのです。

 現在の中国は他国の技術を剽窃するばかりの形臨の段階かもしれませんが、いずれ意臨、背臨に至るかもしれません。その時、その起源は自分たちにあると主張したって虚しいばかりです。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する