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2014年06月14日22:22

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女優マルガリータ

「女優マルガリータ」1909年
ニコ・ピロスマニ

グルジア国立美術館


 お世辞にも上手とは言えない絵。この画家ニコ・ピロスマニの名をご存じの方は少ないでしょう。グルジアで看板絵描きとして放浪の生活を送り、孤独と貧困の内に人知れず死んでいったピロスマニですが、死して1世紀、今ではナイーブアートの巨匠として国際的に知れ渡り、彼の国においては国民画家と言われ親しまれているのです。
 でもその名前はご存じなくとも「百万本のバラ」という歌を知っている人は多いでしょう。報われない恋のため、家財を売り払って憧れる女優の部屋の窓の前をバラで埋め尽くした画家の歌です。この歌は実話に基づいているとされ、そこに歌われる女優に恋した貧乏画家こそまさしくこのピロスマニのことで、バラを送られた女優がこの絵に描かれたマルガリータなのです。画家だったらバラなんか贈らず、愛を込めた肖像画をプレゼントしたら女優の心も動いたかもしれないのに、なんて老婆心を起こしがちですが、この絵を見たらう〜んと唸ってしまいそうです。
 さて「百万本のバラ」と言えば日本では加藤登紀子の歌で知られていますが、原曲はラトビアで1981年に作られた「マーラが与えた人生」という歌謡曲です。その歌詞は「百万本のバラ」とは異なり、薄幸の女性達の母性を歌ったもので、「マーラは娘に生は与えたけれど幸せはあげ忘れた」と唄い上げます。マーラとはラトビアの地母神です。隣国に蹂躙され続けた小国ラトビアの苦難を暗示して同国では第二の国歌とさえ言われ親しまれています。その曲にロシア人のアンドレイ・ヴォズネセンスキーという詩人が、グルジアの国民画家の逸話を基に新しい歌詞をつけ、ロシアでは国民歌手と評されるアーラ・プガチョワが歌って1982年に大ヒットしたのが「百万本のバラ」というわけです。そう聞くとずいぶん国際色豊かな曲という気がしますが、何の事はない、原曲も「百万本」も作られたのは1980年前半。その頃ラトビアもグルジアもロシアも、ソビエト連邦社会主義共和国という一つの国だったのです。ピロスマニが生きていた頃も、グルジアはロシア帝国の一部でした。
 ラトビア、グルジアなど、ソ連崩壊の1991年以降独立した国々では、自国のナショナリズムを確立させるために、ことさら「国民的」な対象を必要としたのでしょう。つまり彼らは後から国を背負わされたわけです。国も、家族も、家も、生涯持つことのなかったピロスマニが、国を代表させられるとは皮肉な話です。
 今、同じく1991年にソ連から独立したウクライナにおいても、エネルギーの利権と民族主義をめぐり、国を二分する一触即発の混乱状態が起きています。20世紀後半から民族自決の大号令の元、たくさんの国が生まれましたが、マーラは国を与えたけれど幸せはあげ忘れたのかもしれません。

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