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2014年06月13日22:57

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見知らぬ女

一昨日の日記は仕事で携わっている社内報のコラムのために書いた文書だが、同じ社内報で今、表紙に名画を使い、その解説文をコラムとして書いている。せっかくなのでそれも日記に掲載しようと思う。取り上げるのはちょっとマイナーだけど知る人ぞ知る、みたいなもの。以前に書いた文章と重なったり、ちょっと初歩的だったりするけど、まぁ、「美の巨人たち」の劣化版程度と思ってお付き合いください。



「見知らぬ女」1883年
イワン・クラムスコイ
75.5 cm × 99 cm、キャンバスに油彩 トレチャコフ美術館

  日本では「忘れえぬ人」という題名で知られますが、原題は「Неизвестная」英訳すれば「Unknown」。「見知らぬ女」と言うより「無題」ほどの意味になります。(絵画の題名は長らく後代の人が付けるものだったので「無題」はNo TitleではなくUnkownと表記されることが多いのです)

 ロシアのモナリザと言われるほど彼の地では著名な作品ですが、この女性が向ける眼差しはモナリザに比べ何とも冷淡です。身なりから上流階級と思しき女性は、まるで汚いものを見るかのように、うっすらと苛立ちを浮かべ馬車の高みから睥睨しています。一方でこの女性は貴族相手の高級娼婦だという見方もあります。いずれにせよ、その視線の先にいるであろう画家・観衆は見下されているのです。

 作者のクラムスコイは貧しい小市民階級の出で美術アカデミーに進みますが、当時勃興した社会主義革命の前身であるナロードニキ(人民の側へ)運動に共鳴し、アカデミーを飛び出し芸術を上流階級のサロンから民衆のものにすべく、サーカスのようにロシア各地で巡回展覧会を開く「移動派」と呼ばれる運動のリーダーとなります。

 そんな彼が晩年になって描いたこの上流階級の女性は、何重も複雑に絡み合った思いが込められているように見えます。なるほど「忘れえぬ人」という邦題はあながち外れてはいないかも。この絵が描かれてから三十余年後にロマノフ王朝は滅び、ロシアはソヴィエトになります。モデルとなったこの女性はいったいどのような人生を送ったのでしょう。

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