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2014年05月02日18:47

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落ち穂拾い

聖書に「落ち穂を拾い集めてはならない」とある。
これは、寄留者、孤児、寡婦のモノであると。
そういうワケで、西洋にはこの習慣が残っていたり、一部未だに法律として生きていたりもする。

こういうのは博愛ととらえられがちだが、そういうコトでも無いのだと思う。
それは社会にとって必要なシステムだった。

例えば、敵が攻めてきて戦わなければならないとする。
戦わず畑や全ての財産を捨てて逃げても、或いはそこにじっとしていても死を待つだけだ。

とは言え自分が戦場に行って死んだら家族はどうなるのだろうか。
或いは怪我をして働けなくなったら例えその戦争で死ななくても飢えて死ぬだけなのだろうか。

こういう時、社会がけが人や戦死者の家族を最低限度養ってくれる場合はどうだろう。
闘いに行くと言う選択肢を取らざるを得ないのでは無いだろうか。
自分も家族も最も死の確率が低くなる。

その保証が無い場合は、家族を連れて決死の覚悟で逃げ出すしかないが…
彼や家族の命、そして彼の故郷もおそらくは失われるだろう。

社会保障と言うのは、そんなトコロから出てきたのではないかと思う。
現代においても、自分の命や財産を危険に晒しても国を護ろうとする国民が欲しいのであれば必須のルールなのだと思う。
誰も守らない国はいずれ消えゆく。





■生活保護を受けるのは悪いこと? 女性の貧困を救う手段を阻む“水際作戦”の実態
(ウートピ - 05月02日 12:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=184&from=diary&id=2867393
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