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2014年03月29日19:19

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ホロコースト記念館行って来た。

エルサレムからヘルツル山行きのトラムに乗って終点である。
そこから公園沿いを少し歩くとヤド・ヴァシェムにつく。我々は夕方、三月の冷たい雨の中たどり着いた。先々週の話だ。

エントランスの白いビルから細い橋を渡ってゆくと三角柱を横に倒したような長大な建物がある。
中に展示されているのは、ホロコーストの遺品と写真、地図や数字の書かれた解説パネル。どこの記念館にもあるようなものとも言える。
しかし語り口は決して大げさでなく、静謐の中淡々と事物が語られてゆくだけだ。
色は白と黒とアースカラーのみ。穏やかな、そして例えようもない大きな悲しみの重さが伝わってくる。

多くのユダヤ人が家畜のように殺された。社会の中で普通に暮らして居た金持ちも貧乏人も全てが。ユダヤ人にはユダヤ教信徒という条件があるのだが、改宗した人でも殺された。
この殺戮は近代において最大の悲劇であろう。しかし、だからと言ってそれを惨状の例えにしてはならない。「ホロコーストのような」と言う比喩にしてはならない。それをする権利は誰にも無い。

またナチス、ヒトラーもまたその悲劇を作った人物で、比喩の対象になるけれど、それもまた止めた方が良い。それぞれの国でそれぞれの歴史があって、そして何が起きたかは、それぞれの歴史の中だけで意味を持つものだ。
もし、自らの悲劇を語る必要があるならば、自らの言葉で自らの証拠を出して語らねばならない。
相手が納得してくれるまで。

日独伊の三国同盟があったから日本も加害者だ。杉浦千畝が居なかったらとても居られないほど肩身の狭い場所であった。東洋人など他に誰も居ないし。w
学生達が単位でも貰えるのか、ぞろぞろと沢山来て居た。

歴史を学ぶコトは国家、民族のアイデンティティの持続には欠かせない。


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http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=2822204
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