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2013年01月09日07:50

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遊びをせんとや

 「遊びをせんとやうまれけむ」は大河ドラマ『平清盛』の重要なモチーフのひとつだったそうです。『梁塵秘抄』の有名なフレーズですけど、日本人もけっこう昔から遊ぶのが好きだったんだなあと思うとなんだかおかしくて、最初に読んだ時から印象に残っています。たしか、かつてナムコ(現バンダイナムコ)がコピーに使ってたこともありましたっけ。もっとも、ひどく厭世的な解釈も可能だったりしますが、無心に遊ぶわが子を愛おしむ親の気持ちが主題になっているというのが素直な読み方でしょう。

 さて、私には偏見があって、女性の脚本家だとやはり歴史上の闘争がきちんと描けないと思いこんでしまいがちです。
 たしかに、後世の部外者の視点からすると、「なぜそんなことで争うのかよくわからない」ということになる場合が多くて、結局、無謀だったり、粗野だったり、誤解だったり、考えが足りなかったりといういったところに理由を求めてしまうのですけれども、いみじくも武将ならば実際の戦闘に突入した時点で勝ったとしても失うものばかり多いということは、テレビドラマの脚本家なんかよりよほど骨身にしみてわかっているわけです。そうならないようあらゆる手段を尽くしながらすべて失敗した結果、戦闘になるわけでして、そののっぴきならなさを描けないと、逆に戦闘が盛り上がりません。
 なんか、女が脚本を書くと戦いが盛り上がらんからいかん、みたいな物言いになってしまいますけど、そういうことでしたっけ。あと、男が書けば大丈夫かを思い返してみると、けっこう心許なかったりもします。でも、『風林火山』の大森寿美男は書けてたと思います。

 そんなこんなで藤本有紀の『平清盛』もなんだかなと思って2回ぐらいで見るのをやめてしまったのですけど、最終回だけみたらけっこうおもしろかったです。
 壇ノ浦の「見るべきほどのことは見つ」と「波の下にも都のさぶらふぞ」は、本邦文学史上でも屈指の名台詞だと個人的には思っていて、これが二つ並んでいるチートっぷりもちょっとどうかではありますが。それぞれのセリフを口にしたのが深田恭子と小柳友だったのは、少し軽くなってしまった気がしないでもないですけど、清盛が主人公だとここらへんのキャストは下の世代になってしまうので、そんなもんかという気はします。ちなみに、2005年の『義経』では松坂慶子と阿部寛でした。当時ですら、阿部寛は無駄遣いと思いましたが(夏川結衣がこの時点で阿部寛の奥さん役だったのには調べて知ってちと驚き。このあと、『結婚できない男』と『歩いても歩いても』で息のあった演技をみせる二人が、ここまで遡られるとは)。それから、『義経』で主人公の少年時代だった神木隆之介は『平清盛』でまんま義経でした。狙ってますわな。

 なんだかんだで見るのをやめた最も大きな理由は去年の年頭が忙しかったからなんですけど、それさえなきゃ見てもよかったかなとあらためて思いました。視聴率は歴代大河ドラマで最低だそうですけど、それまでの最低だった『花の乱』も私はけっこう好きでした(主演の三田佳子以外)。
 平安末期って、なかなか映像化されませんから。正盛忠盛清盛教盛重盛維盛宗盛知盛敦盛とか、モリモリな人がモリモリ出てきてなんか楽しいじゃないですか。戦国と幕末ばかりってのはどうも。『八重の桜』の次は黒田官兵衛でしたっけ。田中角栄やってくれませんかね、絶対におもしろいと思うんですけど。

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