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2012年08月08日21:17

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声帯から出る音はただひとつ「ア」音のみ

 先月は仕事で飛び回っている時間が多かったですが、今月はじっくりと経絡やチャクラなどの調整中――それにものすごく暑いので自宅でクーラーかけながら読書三昧といったところです。当面は、腸内環境と栄養療法をめぐる新情報を整理するのが一番のねらいなのですが、腸内感覚や腸の知性などをめぐる周辺情報もチェック中。それだけでなくサウンドレゾナンス関連の情報もパラパラと……めくっていたら、竹内敏晴さんの著作のなかに、アーという母音こそが、声帯が発する唯一の母音、原声音であるとの洞察が、、、、以下、備忘録をかねて紹介しておきます……。


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   竹内敏晴『声が生まれる』――聞く力、話す力――(中公新書)
         第1章 ことばの方へ : 母音の力

 次に歯の裏に軽く舌の先端をあてがっておいて息を吐く時にかるく震わせる。するとラララーとのどかな声が出る(注意しておくと、これはラという音を出すのではない。「アー」の音がひっかかりなく現れてくるための仕掛けにすぎない)。はじめはおっかなびっくりの人もあるが、くり返すうちに豊かなラララーが溢れてくるようになる。

 だが、気をつけてみると、「ラララ」に続く「アー」の音がたちまち変形してゆくのがわかるだろう。「アー」がすぐさま「ウ−」とか「オー」とかに近づいてしまうのだ。
 これは1960年代の終わり頃ようやくわたしに「ことばが劈(ひら)かれ」た後で気づいたことだが、この声音中の第一の母音である「アー」の音は実はちゃんと発音するのがたいへんむつかしいのだ。
 ラララーと発声すると、とりあえずはたいてい「アー」の音が出る。ところが気をゆるすと、それはたちまち「ウー」に近く変っていってしまう。口腔のひろがりがすうっとしぼんでいってしまうのだ。「アー」の音はその生まれた瞬間に、また新しく「アー」が生まれ、そしたまた、と、常に新しく生まれつづけなくては「アー」でいられないのだ。これに気づいた時わたしはほとんど呆然としていた。声を出すとはこんなにも微妙でかつ持続する、注意力、というよりはいきいきしためざめてくる力がいるのだ、ということに。

 さて改めて、「わたしの唇をみていて下さい」と言って、わたしは「ラララー」から「アー」をやってみせ、続いて、唇の形を変えないまま、「アーエーイー」と音を変化させる。さて、「二人ずつ向かいあってやってみて下さい。唇の形は変えなくても、この三つの母音は発することができる。なにが変ると音が変わるのでしょう?」

 やってみた人たちは、笑い出したり顔をしかめたりしつつやがて「舌の形を変えれば変る、とわかった」と言い出す(舌は口腔内の大きな部分を占めているから、舌の形を変えるとは口腔内全体の形を変化させることになるが)。唇の形を、前に述べた口形図のように力ずくで動かさなくてもよいことがこれでわかる。 
 と同時にわかってくることは、決して「ア」「エ」「イ」という固定した音があるわけではない、ということだ。「ア」から音は微妙に変化して、グラフにとればなだらかな曲線をえがくように、次第に「エ」らしき音に近づいてゆく。どこからが「エ」なのか、それがまたなだらかに変化していつか「イ」に近づいてゆく。古代日本語には母音が八つあったというのが定説で、東北にはまだ「エ」と「イ」の中間音が残っていると言われる――たとえば「家に帰る」が「イ-エにかえる」で、「イ、エ」ではない。といた例だが――が、母音とは固定した音ではなく、それを「エ」とか「イ」とか聞き分ける側の耳において成り立っている、ということなのだ。

 次に「アー」を発して開いていた唇を袋の口を閉めるように少うし閉めてゆくと、「オー」になる。「オー」の唇を少し横にひろげてみる感じにすると「ウー」になる。
 これはあくまで実践的な分析法だが、とにかくこうして、日本語の母音においては、「アー」の音が、口腔内の――ということは、のどには関係なく――変化において連続的に、生まれてくることが体験できる。
 そして、ここからが、わたしが発見――気づいたいちばん肝心なことなのだが、これによってわかることは、のど即ち声帯から出る音はたった一つ、「アー」の、いわば原音だけなのだ、ということだ(音の高低はあるけれども)。
 声帯から出る音はただ一つだ――これに気づいた時、わたしは憑きものが落ちようにあっけにとられた。何十年もの間、声を、ちゃんとした発音を一つ一つどうやって生み出そうかと、ただこの一点に集中していた努力が、全く無駄だったと知った瞬間である。だがこの同じ思い込みは多くの、声に苦労している人々、そしてその治療指導者にも、無自覚のまま共有されているようにわたしには思える。
 
 のどから出る音は、原声音ただ一つ、後は口腔で、そして唇で形作られる。

 そしてそれと一体をなして大事なことは、このようにして生まれた原声音が、話しことばの発せられている間じゅう途切れない、ということだ。「たけうち」という音は「アーアーアーアー」から「アーエーウーイー」と母音が変化し、さらにいわばその母音の川の流れにところどころ川幅をせばめたり信玄堤をつき出したりするように、子音が流れる母音を制約する。と、「たけうち」に変化する。この「たけうち」の間、のどから流れ出る原声音は流れつづけて変らない。こうしてみれば、この、息を十分に吐くことと、一音節ごとに母音まで十分に声を発していく、一音一拍の発声法は、「一語一語を独立させて粒立てて発声する」という訓練法とは全く違うものだということを、念押しする必要はもはやないだろう。

 
 

 
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