mixiユーザー(id:809122)

2012年06月29日16:13

24 view

ばっかり食べ

「ばっかり食べ」が問題になっています。聞くところによると日本の食文化の危機だそうです。大変です。
http://goo.gl/Vzf8l
http://goo.gl/tG47h
「ばっかり食べ」とは最近の若者たちによくみられる食事のしかたで、いくつかあるおかずのうちの一つだけを完全に食べきってから次の皿に移り、また別の皿のおかずを平らげるという食べ方のこと。ご飯もその内の一つで、そればっかりを食べるのです。
これに対し正しい食べ方とされるのが「三角食べ」です。三角食べとは、食べるときにご飯、汁、おかずを三角を描いて順番に食べて、最後に同時に食べ終わるという食べ方のことです。これはもともと武家の食事作法だったそうです。武家は質素倹約を旨とし、食事も一汁一菜を基本とするので、ご飯を入れて三品で三角形となるわけです。本来は和食の習慣ですが、1970年代、主に東日本の学校において、パンや牛乳といった洋食が主流だった当時の給食でそう指導され、それが浸透して食事全般のマナーとなったようです。メニューが四品五品あっても、とにかくまんべんなく均等に食べることが三角食べの基本スタイルと言えます。
また「口内調味」という言葉もあります。三角食べによって味の薄いご飯と味の濃いおかずを同時に口に入れ、口内で味を中和させて、そのハーモニーを楽しむのが和食の文化だというのです。

和食の文化などと言われると、大事にしなきゃと思いそうですが、果たしてそれが文化だといえるのかどうか、ちょっと首を傾げます。
そもそも日本の食文化の象徴と目されている武家の食事や禅僧の懐石は、「食の文化」ではなく「食べない文化」のような気がします。
懐石料理は茶の湯の食事として、おもてなしの「会席」の料理と思われがちですが、もともと「懐石」という言葉は、禅僧が修行の最中、空腹や寒さに耐えるために、懐に温めた石「温石(おんじゃく)」を入れたことに由来します。そこから、僅かなものでとりあえずの腹拵えをする食事のことを指していたのが懐石料理なのです。
武家の食事も、いざ戦になったら悠長に食事をしていられないので、いつでも最小限のものを汁と一緒に流しこんで、同時にさっさと済ませられるようにした「もののふ」としての合理的な食べ方であるわけです。どちらも食べることをネガティブに捉え、(なるべく)食べないことを目指した「食べない文化」と言えます。
口の中で味を整えるというのも、なんだか料理を馬鹿にした話です。ご飯にはご飯の、おかずにはおかずの旨さがあるのであって、口の中で一緒にして味わうのなら、もとから丼の中にぐちゃぐちゃに混ぜておくのと変わらないではないですか。ビビンパのようになんでも混ぜあわせて食べるのは、お隣の国では流行っているそうですが、和食の文化としてそういうのはどうでしょう。少なくとも一品一品に心血を注ぐ料理人としたら、メニューのそれぞれを一つづつ食してもらい、その一通りを全体の体験として味わってもらいたいと思っているのではないでしょうか。実際フォーマルな日本料理では、メニューはそのように供され、ご飯は最後の方で(おまけのように)出されます。作法としても、三角食べをして口の中で混ぜあわせて嚥下するような食べ方は決して褒められたものではありません。

ご飯やパンのような炭水化物を指して「主食」と言いますが、これもおかしな話。食事の中心として主要なエネルギー供給源になる食物のことを主食と言うのでしょうが、かつての日本のように米ばかりを食べていた頃ならいざしらず、今の栄養豊富な食事でご飯を主食と言うのは相応しく無いでしょう。欧米には主食という概念はありません。あるのはメインディッシュであり、それは決して食事に添えられるパン(小麦)や芋のことではありません。タロ芋だとかとうもろこしだとかバナナだとか、単一食材を主要なエネルギー供給源とするのは、概して貧しい地域の特徴で、カロリー不足を補うために単一食材を多量に摂取しているということを表しているにすぎません。つまり、料理を最小限にしご飯をたくさん食べて腹を満たすというような、間に合わせの食材が「主食」という言葉の隠された意味であり、米を「主食」と言っているようでは、宮廷料理を出自とする世界三大料理(中華・フランス・トルコ)に和食が比肩するものとなることは決してないと言えるでしょう。(粗食こそ日本の食文化だと開き直るのならそれもいいですが、そうであれば飽食の現在の日本において、食文化は完全に潰えさったと言うべきでしょう。ちなみに江戸時代、一人扶持は一日米五合とされ、実際一人あたり4.5合ほど米を食べ、残りが惣菜という程度だったそうです。つまり一日の食事がご飯十杯おかず小皿一皿というバランス。それをして和食文化だとはあまり認めたくない感じです。)

更に言うなら、ご飯や三角食べは、文化どころか日本の食生活を破壊している元凶と言うことも可能です。というのも、ご飯で味を薄めて食べる習慣から、逆におかずを大味に味付けするのが一般化してしまい、それが素材の旨味を殺しているばかりか、何でもかんでも(ご飯に合う)醤油だとかマヨネーズに頼るといった味覚の画一化を招いているからです。また、汁物で流しこむ食べ方は、咀嚼の回数を減らし、その結果、噛むのが面倒になって柔らかい物ばかりを好むという悪循環を生み出しているのです。
かつてご飯の添え物であったおかずがメインとなった現在の食生活の中では、逆にご飯は不必要な栄養過多食材となっており、それをあえて摂らない「炭水化物(糖質)ダイエット」なるものが巷では流行しています。実際にご飯やパンを食べない炭水化物ダイエットをやると、最初のうち満腹感がなくて物足りないのですが、それに慣れると食べる絶対量が劇的に減り、味も薄いものを好むようになって、塩分の摂り過ぎも防ぐことができます。つまり食事の正常化(料理を中心とした)が図られるのです。栄養のバランス的に炭水化物(糖質)を全く摂らないというのはどうかと思いますが、料理の中にもそれは入り込んでいますので、主食を食べないくらいがちょうどいいと言えます。

このように現実としての日本の食の状況からすれば、主食を頂点とする「三角食べ」は邪道な食べ方であり、実は「ばっかり食べ」こそが正当な食事の仕方と言えるかもしれません。
米偏重の政策や給食制度のエクスキューズとして三角食べが称揚された歴史は、今一度見直される必要があるのではないでしょうか。
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する