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2012年04月07日19:14

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『NHKスペシャル 未解決事件 オウム真理教』

 NHKスペシャルに『未解決事件』というシリーズがある。シリーズといってもまだグリコ・森永事件しか取り上げていないけれど、5月には第二弾としてオウム真理教を扱うらしい。
 先日、その一部だかを先に45分ほど放送していて、録画をようやく見たのだけど、けっこうおもしろかった。
 最初はほのぼのした雰囲気のヨガのサークル、オウム神仙の会が、宗教法人の申請の時期に起こってしまった修行中の事故死を隠蔽したことにより、どんどんおかしくなっていく様子がスリリングだった。

 言い古されたことなのかもしれないけれど、オウム真理教をバブルの鬼っ子だという指摘も興味深かった。
 あれはちょうど私の学生時代とも重なるのだけれど、なぜそんなに急に景気がよくなるのか、そして、それが実体をともなうものであるなら、その富をなんのために使うべきなのか、そうした問いかけはまったくなされないまま、ただみな景気がいいと騒いでいる状況にあって、この社会は本当に現状追認と対処療法しかできないのだとひどく憂鬱な気分になったことを思い出す。
 オウムに惹かれた高学歴者たちが、似たような焦燥感を抱いていたことは番組中でもとりあげられていた。ネジのゆるんだ年寄りのバブルのころを懐かしむような発言に接するたびに違和感を憶えるのだけれど、あの得体の知れない焦燥感や閉塞感もあの時代の別の側面だったと思う。別に不況だから気分が暗くなる、好況ならその反対というわけではない。

 とはいえ、個人的には、新興宗教のオカルトでそこを埋め合わせようとした彼らの泥縄さにも、あまり同情はできないのだった。別の表現を用いるなら、ピュアすぎたということなのかもしれないけれど、焦りは焦りとして、結論を出すことまでそんなに急ぐ必要はないように思っていた。いずれ自分たちの引き継ぐものが焦土であったとしても、どうせそれまでできることはほとんどなかったはずなのだから。

 基本的にあの事件は、関係者のほとんどがすでに収監されているにもかかわらず、どういうことだったのかさっぱりわかっていないという、きわめて不思議な出来事である。当事者たちもどういうことだかわかっていなかったと思うし、誰も事態をコントロールする術を持っていなかったような気がする。
 そういう意味では、5月のNHKの放送でも、いくつか興味深い事実が明らかにされるではあろうけれども、全容が解明されることはついぞないのではなかろうか。

 そもそも、教団の活動が活発化するのは、1999年のカタストロフから人類を救うためだったはずである。この1999年という数字からして、なんだか切なくて泣きたくなるのだけれど、いまさらながら、五島勉は少しでも責任を感じるべきだと思います。
 それはそれとして、人類を救うはずなのに、なぜかテロに走ってしまうあたり、関係者が誰一人としてアメリカとの戦争を望んでいなかったにもかかわらず、満州事変、国際連盟脱退、南部仏印進駐と対米開戦に進んでいった昭和初期の日本にどうも重なってしまう。同じ傾向をもった人間の集団は、やはり似たような病理を共有してしまうのだろう。

 でもって、ようやく本題に入るのだけれど(前置きが長すぎるのは、いつものことではある)、この番組の主要な情報ソースである元オウムの女性幹部を演じていた女優の顔に見覚えがあったのだけど、どうしても名前を思い出せなくて、放送後に確認したら富樫真だった。
 冨樫真といえば、崔洋一監督の『犬、走る』も記憶に残っているけれど(死体役の方が長かった気もするが)、個人的にはなんといっても、彩の国さいたま芸術劇場 (すばらしい劇場だと思う)で蜷川幸雄が演出したシェークスピア『十二夜』のヒロインだったりする。
 相変わらず美人だった。向田邦子を演じたミムラのときにも思ったけれど、美人というのは、思わぬところで再会すると有難さが一段と跳ね上がる。
 そして、ちょっと雰囲気がありすぎて、テレビでは使いにくいんだろうなとも思ってしまった。

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