mixiユーザー(id:809122)

2011年12月09日08:41

11 view

3R

皆さんは「3R」という言葉をご存知でしょうか。3Rとはリデュ−ス(Reduse)・リユース(Reuse)・リサイクル(Recycle)の三つの頭文字をとったもの。環境問題が叫ばれる今日、循環型社会を目指す世界のキーワードとなっているものです。しかしリサイクルと言う言葉は耳なじみがありますが、リユース・リデュースと言うのは聞きなれず、なんだか意味不明です。

単純に意味だけを言えば、リサイクルは廃棄物の「再資源化」、リユースは廃物の「再利用」、リデュースはゴミの排出の「抑制」を指します。捨てられたペットボトルからフリースを作るのはリサイクル、ペットボトルを洗って何度も使うのはリユース、ゴミになるからとペットボトル自体使わないのがリデュースと言えるでしょう。エネルギーやコストを考えると、リサイクルが最も効率が悪く、リデュースが一番簡単で地球にやさしいと言われています。なので国も国際社会も、1)リデュース、2)リユース、3)リサイクルの優先順位で廃棄物の削減に努めるのがよいという考えを示しています。

意味は明白で簡単なことじゃないかと思われるかもしれませんが、それはこの言葉を作り出し、広めようとしているお上の視点に立っているからかもしれません。
実際その言葉を実践する側の生活者の視点で見てみましょう。ペットボトルのような一度しか使わない物は実は例外的で、容器包装以外の日常生活の多くのものは、たいてい何度も使うものではないでしょうか。つまり身の回りのほとんどのものは既にリユースされているのです。そこで更に「リユースしましょう」と掛け声がかかっても、では普段の使用をどう変えれば「リユースしている」と言えるのか。いつまでも捨てないという事ならそれはリデュースになるのでは?その境界線が見えません。

また、リユースしようと頑張ったところで、例えば電化製品などはメーカ−に課せられたトップランナー方式というものがあって、最新の製品は確実に過去のものより節電効率が高いものになっているので、買い換えた方が(古いものを捨てた方が)結局は省エネになるなんてこともあります。自動車も国は古い年式のものには税金を重くし新車ばかりを優遇し、早く買い換えるよう促しています。つまり、ものによってはいつまでもリユースし続けるのがいいとは言えないということです。
リデュースにしても、ゴミになるものをなるべく買わず、ゴミは絶対に出さないと頑張ったところで、ゴミとは不要になったもののことであって、要不要は単純に、また絶対的に判別できるものでもありません。全ての所有物はすべからくゴミ予備軍でもあるのです。いつまでも捨てずに溜め込んでいれば、世間からは「ゴミ屋敷」と誹られるでしょう。では、最初から何も買わず所有しない生活をすべきかというと、誰もそんなことはゴメンでしょうし、地球環境問題に関する国際会議で提唱された「持続可能な開発」においても、そんな共産主義か原始に戻れみたいなことは謳っていません。
1)リデュース、2)リユース、3)リサイクルの順で簡単で効果的と言いますが、むしろ逆で、その順でやっている事が見えづらく、効果も測定できないものになる。つまり困難なもののように思います。

さて、なぜリサイクルはわかってもリデュース・リユースは意味不明なのかというと、リサイクルだけが一度持ち主の所有を離れるからなのです。一度所有を離れることで、その行動が顕在化されるのです。

「再生」リペア(Repair)とか「再編集」リミックス(Remix)とかの「再」という意味で捉えがちですが、この「Re」という接頭語の意味を返信を指すリプライ(Reply)あるいは「返却」リターン(Return)の「返」という意味と捉えるとわかりやすいかもしれません。(語源的にはReはRegarding「〜に関して、〜について」のRe、つまり「件」という意味らしいですが)誰かに返す・返される、つまり、何か別の存在、別の意思が働いたところに「Re」が生まれるのです。自分の手を離れるという踏み切りが無い限り、「Re」という言葉は成立しないと言ってもいいかもしれません。

リサイクルだけがその他者の介在が明確です。何しろ別のものに作り変え、別の人の手に渡るのですから。一方、ゴミの抑制「リデュース」やものの再利用「リユース」には、その「別の存在」の作用がほとんどありません。

「リユース」に関しては古本や古着のように別の人の手に渡る場合があります。しかしその市場規模は微々たるものです。あるいは、不要品譲りますの情報がネットで拡大し、もっと大規模にやり取りされるようになれば「リユース」という言葉は「リサイクル」程度に認知されるようになるやもしれません。でも、「リデュース」に関しては、他者を介さない、そのため自分のやっていることが見えない、という致命的な欠陥から、おそらく言葉としては定着することは無いのではと想像します。

皆さんはどう思われるでしょう。
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する