mixiユーザー(id:1833905)

2011年11月12日23:19

63 view

【玉三郎】京都賞受賞記念ワークショップ

 
11月12日、京都国際会館にて、
坂東玉三郎丈の第27回京都賞記念ワークショップを聴講しました。

ワークショップと前日に行われた受賞講演会には各3000名近い参加申込があり、
最大2000名収容のメインホールの他、急遽第2会場が用意されました。
第二会場に案内された私は、老若男女が詰めかけた様子を目の当たりにして、
玉三郎人気の高さを実感しました。

 王冠稲盛財団・京都賞について
   http://www.inamori-f.or.jp/ja_kp_out_out.html

 王冠京都賞 記念講演会
   http://www.inamori-f.or.jp/ja_kpweek_ustream_c.html
   (You Tube / 稲盛財団チャンネル ) 
   http://www.youtube.com/user/InamoriFoundation#p/u/0/QoqNYfdSlRo

 映画第27回京都賞記念講演会 坂東玉三郎丈 http://youtu.be/QoqNYfdSlRo

 かわいいワークショップ「玉三郎の美の世界」概要
    http://www.inamori-f.or.jp/laureates/k27_c_tamasaburo/wks.html


思いがけないご縁でこのイベントに参加できましたので、当日の様子を報告します。

ご一緒したのは、3年前『ふるあめりかに袖はぬらさじ』日記でコメントを交わした
maria さんと、会場で意気投合したI川さん。お二人とも素敵な女性で、熱心な玉様
ファンでしたから、初対面同士にも関わらず、話が弾んで時を忘れるほどでした。



      かわいい      かわいい      かわいい      かわいい



【第一部・ワークショップ : 歌舞伎の女形について 受賞者レクチャー・実演】

第二会場は、巨大スクリーンでメイン会場の様子を観ることになっていました。
「今日は玉様を生で拝見できないですね」「残念ですけど、スクリーンで拝見する
方が見やすいですよ」と話していると、思いがけず、玉様が第二会場に登場exclamation ×2
せめて挨拶は生で…という玉様の心遣いに感激し、第二会場は大喝采でした。

粋な変わり縞の白お召しを着流した玉様は、意外や、たいへん緊張していました。
「私は台詞がない状態で人様の前に出ることがたいへん苦手で…」と、遠くに目を
泳がせながら挨拶の言葉を述べられると、メイン会場へ戻っていかれました。


ワークショップ冒頭、司会の大笹氏から「玉三郎丈多忙につき、進行の打合せが
ほとんどできなかった。本日はぶっつけ本番」とのエクスキューズがありました。
(大丈夫なの?それで玉様はあんなに緊張していたのかしら…たらーっ(汗))と、思わず
こちらも緊張する始末。ドキドキの対談が始まりました。


まず、「世界にみる女形の歴史」が簡単に紹介されました。
ギリシャ悲劇の昔から、演劇は洋の東西を問わず男性のみで演じられていました。
約200年前、近世になると「女優」が誕生したことで西洋の女形は途絶えました。
アジアでは続いていましたが、中国などは文革で禁止されたそうです。
そうした訳で、時代が変わっても女形が廃れることなく続いてきた(さらに、女が
男を演じるタカラヅカも誕生した)日本は、世界的に見て珍しい文化を誇ります。
大正・昭和期は、七代目尾上梅幸・六代目中村歌右衛門という2人の名女形がブームを巻き起こしました。その次の「歌舞伎の女形ブーム」は1970年代に起こり、
五代目坂東玉三郎丈が一世を風靡しました。


ここから、玉三郎丈の生い立ちが語られました。

ご実家は大森の料亭、5男坊の末っ子でした。小さい頃から踊りが大好きで、小児
まひのリハビリを兼ね、踊りのお師匠さんが出稽古に来てくれていたそうです。
そんな親市君を、ご実家から徒歩5分ほどの近所にお住まいだった尾上琴糸さん
(六代目梅幸さんの弟子)が認め、「この子に歌舞伎の修行をさせてはどうか」と
お父さんに勧めてくれたお陰で今の私がある、と感謝の言葉が。入門先を当たり、
守田勘弥さんのところが良かろうと決まり、部屋子にしていただいたそうです。
部屋子は通い弟子ですが、普通の弟子と違い、大部屋ではなく、師匠の楽屋の次の
間におらせてもらい、ずっと師匠を見習ったりお行儀を教わったりできる特別待遇
です。親市君は、小学校よりも楽屋にいる方がずっと好きな子どもでした。
踊りの会と違い、歌舞伎興行は25日間連続です。とにかく踊るのが大好きだった
親市君は、毎日踊れるので(まだ人にお見せしようとの意識はなかった)楽しくて
仕方なかったそうです。学校の友達とはノリが合わなかったようです。(苦笑)

1950-60年代当時は義務教育も大らかだったので、年間の1/3出席していれば、
問題にならなかったとか。しかも、歌舞伎好きの先生が「楡原君、朝の1時間だけ
出れば欠席じゃなく早退扱いだから。3日の早退で欠席1日になるので、ちょっと
だけ顔を出すと良いよ」と入れ知恵してくれた(笑)お陰で、朝起きが苦手だった
親市君は頑張って登校し、さっさと早退していたそうです。それを見た周りの子は
「早く帰れていいなー」と大らかに反応し、いじめられたりしなかったそうです。
ちなみに、好きな科目は理数系だったとか。

子どもの役者見習いは、変成期が来るまでの間、男の役も女の役もやるそうです。
適性を見極めてから立役か女形に決めるのだとか、坂東喜の字としてスタートした
親市君は、14歳で坂東玉三郎を襲名し、その時から立女形になりました。
名前が変わることについては、抵抗がないというより無関心だったそうです。(笑
「今日からお前は玉三郎だよ」と言われても、(ああ、そうか)と。それだけ。
とにかく舞台に立って踊れさえすれば、他のことはどうでも良かったそうです。

歌舞伎役者の修行は、何と言っても「踊り」が1番です。次に三味線。(親市君は
小学校でドレミファを教わる前から三味線を習っていたので、逆に、ドレミファで
できるんだなと思ったとか) それから、お茶・お花・鳴りもの…。
どれも、「小さい頃から習う」ことがとても大事だとか。
子どもの頃は、気が向くと実家の大広間で「自分のために」踊っていたそうです。
それが「お客様にお見せする」という意識に変わったのは、三島由紀夫氏の舞台に
出演した10代の頃からだそうです。
修行は「口伝」「見て取る」ことが要求され、踊りのお師匠さんは3度しかお手本
を見せてくれません。覚えきれないと、後で兄弟子にこっそり教わったそうです。
丈は「とにかく必要に迫られて勉強しました」と振り返っておられました。


若い頃の話が一段落すると、ワークショップに移りました。

まずは、実演「女形の見せ方」。
玉三郎丈は舞台上手にしつらえられた畳に上がり、ポーズを取って解説しました。
正面を向いて直立した玉様は、長身で、胸郭がよく発達した男性の体型です。
ここから、いかにして「女のように」見せるか。

 (1) ラインを作る。体を斜に構え、手前に出た足を内股にし、膝を緩める。
 (2) 肩を落とす。 手前の肩を落とし、首〜足にかけて柔らかな曲線を見せる。
 (3) 役を作る。  ポーズや動きの "パターンを組み合わせて" キャラを作る。

若い娘と老け役を、頭の動かし方や袖の使い方で演じ分ける実演がありました。
「老け」と聞いて会場に笑い声が起きると、玉三郎丈が真面目な顔で仰いました。

「皆さん、江戸時代の感覚は、現代の感覚と全く違うんです。
 若い役とは15,6歳を指します。老けは25歳くらい。老婆ではないのですよ」

テクニカルな説明の後、次のような解説がありました。

「これこれのポーズをとれば女らしく見える」と決まっているものではない。
女らしい綺麗さは、ポーズではなく、一連の「動きの流れの中で」生まれるもの。
最初と最後の形は同じでも、途中はその都度変化する「ゆらぎ」の中に美は宿る。
若い頃から、「いい形」は楽にはできないと、義父に教わってきた。
また、声の訓練は歌で行う。理想は、声色に頼らず、地声で女を演じられる発声。

東洋は【境目のない国】だと感じる。西洋文化と違い、白黒はハッキリしない。
つまり、男と女の間に「中性的な美しい人がいる」ことを当然に受け入れる世界。


玉三郎丈の実演が終わると、司会の大笹氏がとんでもないムチャ振りをしました。

「玉三郎さんは若い頃、お姫様役などで定評があった一方、悪婆も得意でした。
 『お染の七役』に登場する悪婆・土手のお六を、今ここで、ちょっと実演して
 いただけませんか?」

軽いノリで振る大笹氏の言葉に、私は跳び上がるほど驚きました。ありえない!!
完璧主義の大和屋が、役を演じるのにどれだけ入念な準備をして臨んでいるか。
素人ファン達ですら知っています。なんという軽々しいノリ。これは暴言です。

案の定、玉三郎丈はサッと顔を強ばらせていました。「それは、できません」
「いや、ちょっとだけでも」「こうした素のままでは、役はできないのです」

ファンから見ると緊迫した(大笹氏の受け止め方は不明)やりとりの後、ちょうど
時間が尽きて第一部は終了しました。あー、ヒヤヒヤした…。(爆)



      かわいい      かわいい      かわいい      かわいい



【 第二部・パネル討論会:玉三郎の美の世界 】

第一部に引き続き、司会は大笹 吉雄氏。パネリストは、坂東 玉三郎丈のほか、
植草 信和氏[元キネマ旬報編集長]と 長野 由紀氏[舞踊評論家]のお三方。

大型スクリーンで玉三郎丈の代表作品を紹介しつつ、美を構築する裏側を探る、
という進行でした。しかし、ここでも大笹氏が暴走。(爆) 1時間ほどの間、
バネリストのお二人には、たった2言ずつしか発言機会が与えられませんでした。
終盤でやっと話を振られ、質問ができた長野氏は「今日は、ご来場の皆さまと
同じような気持で拝見していれば良いかと思っていました」とチクリ。
せっかく映画と舞踊の専門家がいらしていたのに、突っ込んだ話はあまり出ず、
私はちょっと残念に思いました。


以下、紹介された作品についての簡単なメモです。


王冠新派の舞台について

映画『ふるあめりかに袖は濡らさじ』
  http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12795/

『華岡青洲の妻』に並ぶ、有吉佐和子さんの戯曲。主役のお園は杉村春子さんの
当たり役でしたが、元々は片岡我當さんに当てて書かれた役だった。
日本の演劇には喜劇が少ないので、実はコメディ好きの玉三郎丈は、若い頃から
「いつか、お園を演りたい」と思っていた。

若き日の玉三郎丈は、勉強のため独りでいろんな舞台を見に行っており、客席で
よく杉村先生とお会いし「よく勉強しているわね」と可愛がられた。
第一部でも紹介された杉村先生の言葉。玉三郎丈は、これを今も胸に刻んでいる。
「これからは何でも演りなさい。ただ、何でも演りゃいいってもんじゃないのよ」



王冠泉鏡花作品について
  http://www.tamasaburo.co.jp/kangae/taidan/sono2.html

■『稽古扇』
しつこく言いよってくる醜男を川に沈めた主人公の娘が、美しく散る桜の花びらを
扇で受け「汚い男の上に散っちゃ嫌」と言う。鏡花の潔癖さが表れた新派作品。

泉鏡花の世界には、「一瞬が永遠になる」ような鋭さがある。
外形よりも本質の清さを瞬時に見抜く。とても純度が高い、と玉三郎丈。

映画『天守物語』
  http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12849/

なかなか上演される機会がなく、また興行的に当たらなかった時代が続いていた。
登場人物は妖怪ばかり、設定も非常にシュールなので、難しいと敬遠されていた。
昭和52年(1977)、玉三郎丈の富姫で初めて大当たりした作品。成功の鍵は
「原作に忠実に上演したこと」。アレンジした舞台は尽く失敗しているそうな。

玉三郎丈は「鏡花の女は、女形が前提」と指摘。近代の歌舞伎である、と。
だから、鏡花作品の主人公は女優が演るより女形が演じた方がハマりやすいとも。
また、「自分ではない、役になり切った状態=憑依」について、
「女の役には乗り移りやすく、役のコントロールは男の方が得意」と理系な解説。

映画『外科室』(1992)
  http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD5352/

玉三郎丈が初監督した短編映画。原作・泉鏡花。
満開のツツジがどこまでも続く、奇跡のように美しいシーン(no CG)の撮影秘話。
小石川植物園をロケハンした玉三郎監督は、物語の情景描写が実際にとても忠実で
あることに気付いた。そこで、ツツジの満開を狙い、たった1日でロケを敢行。
朝から光の色が変わる午後3時頃まで、強行軍で一気に撮り上げたという。
(しかし、ワンカット撮りこぼし、シーンには落花後の画がある。分かるかな?)
「あと1日遅ければ、あの場面は撮れませんでした」と、丈は幸運を振り返った。



王冠国際的な仕事について

映画『ナスターシャ ドストエフスキー「白痴」より』(1994)
  http://movie.goo.ne.jp/movies/p28356/

アンジェイ・ワイダ演出の舞台劇『ナスターシャ』の映画化作品。
玉三郎丈は、舞台と同じく、ナスターシャとムイシュキンの2役を演じている。
「原作を読んだ時、僕はムイシュキンを演じたい!と思ったんです」と玉三郎丈。
舞台ではストール1枚で女と男を演じ分けていたが、映画ではきちんとメイク。
(ストールのアイデアは、丈が稽古時のスタイルから思いついて提案。また、舞台の公演場所も丈が見つけてきたという)
ロシア?で行われた映画の撮影は日本国内で知られておらず、公開時は驚いた、と
植草氏。作品冒頭、馬車で思い沈むナスターシャの演技は「とにかく演じるので、
長回しして適当に使って欲しい」と監督に頼んだ裏話などが紹介された。

この仕事で、丈は西洋のメイクを勉強したそうだ。
日本のメイクとは違い、西洋のメイクは「ハイライトとシャドウで骨格を変える」
のが基本。顔の骨格だけは、遠くからでも認識できるためだ。
「45°角から当てた光が垂直に反射する部分にはハイライトを、光に対して90°
の部分にはシャドウを塗る」等の知識は、運良くこの時期に知り合った、マックス
ファクターのアーティストから教わったとのこと。


【関連】映画『メイクアップ・アーティスト:ケヴィン・オークイン・ストーリー』
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983624567&owner_id=1833905

 1990年台に「コントゥアリング(骨格)メイク」を確立した天才の伝記。




ぴかぴか(新しい)ベジャールとの舞台(1977〜)

映画前置きとして、『鷺娘』

自分の死生観と合っている演目、と玉三郎丈は語る。
「美しい白い鳥が死にゆく様」に哀れさだけでなく、神聖さや憧れを感じるのは
世界に共通する感覚。鷺の気持を表現するには過酷なボディコントロールが必要
だが、その過酷さを観客に分かられないようにするのが肝心。


映画『パブロバ』

引退したパブロバが、池の白鳥達にパンをちぎって投げ与える、だけの小品。
この映像を紹介されると、玉三郎丈はかなり照れ、進んで説明を始めた。
白い女優帽に、すとんとした白いノースリーブドレス姿のパブロバが池を訪れる。
池には、たくさんの白鳥達(床に座ってアームを動かすコールド)。パブロパは
観客に背を向け、おもむろに『瀕死の白鳥』のアームスをやってみせるーーー。
おおおおっ!!! 私はその動きに仰天した。これは、まさしく白鳥のアームス。
拍手が鳴り止むと、パブロバはにっこり振り返り、短い台詞を述べると、パンを
ちぎって池の白鳥達に投げるマイムをした。終わり。

ベジャール氏は、玉三郎丈を「君にはアームがある!それを見せるんだ」と
説得したそうな。これは「一点の良さを見せる」ことに賭けた作品だった。
まず形をマスターしてこそ、新しいものができる。
見世物スレスレのアイデアを芸術作品に落とし込んだ、ベジャールの手腕は流石。

長野氏から「あのアームスをどうやって習得したのか?」との質問に、玉三郎丈は
「練習も何も、やってみたらできた」とサラリ。恐るべき才能である。

映画『黒塚』

パトリック・デュポンとの共演。玉三郎丈は途中で正体を現す山姥を演じた。
注目は丈のコスチューム。なんと黒タイツ姿! 素晴らしい脚に目が釘付けだ。
何と言っても筋肉の付き方がいい。プロポーションもデュポンに見劣りしない。
高く脚を振り上げ、跳躍し、男(デュポン)にしがみつく。なんという躍動感。
かぶり物で顔を隠しているので、これが玉三郎丈とは信じられないほどだ。
『パブロバ』では二の腕、『黒塚』では太腿と、珍しいものを拝めてホクホク。

長野氏が再び「並足(6番のこと?)で90度以上脚が上がるのには驚きました。
また、動きが柔らかいですね」と感想を述べた。

■『コーデリアの花』

その他、ベジャールと共演した舞台として名前が挙ったのみ。



映画『牡丹亭』
  http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD14520/

3年がかりで台詞と歌をマスターし、2009年に上海で上演したときの映像。
それを厳しいダメ出し視線で見終えた玉三郎丈は「お恥ずかしい。今ならもっと
上手くできるのですが」「今からバレエをマスターすることは無理ですが、歌は
いくつになっても、だんだん上手くなります。これからは歌です」とコメント。

3年もの準備期間は気が遠くならなかったか?と質問されて、「ひとつの作品を
作り上げる我々の仕事は、スパンが長いんです。三年は短い方です。父も生前、
『5年先・10年先を考えなきゃ仕事はできないよ』と教えてくれました」と、
丈は涼しく返答した。



王冠今後について

■沖縄組踊   http://word.uruma.jp/word/%C1%C8%CD%D9

最後に、大笹氏の肝いりで、玉三郎丈が挑戦中の新テーマが紹介された。
2013年3月に公演予定とのこと。

                            以 上




双子座坂東玉三郎 コミュ  トピック 京都賞記念ワークショップ 
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66096448&comm_id=17369
0 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2011年11月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930