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2011年07月22日00:28

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『火の魚』

 たまにNHK広島が自前のドラマを製作することがあります。
 場所柄、だいたい原爆がテーマになりますが、さすがにもう被爆者も高齢化が進んでいると思っていたら、2008年の『帽子』では、体内被曝児が扱われていました。
 翌年の『火の魚』ではついにというべきか、原爆とは関係ない室生犀星の小説がベースになっています。

 『帽子』は放映後しばらくして主演の緒形拳が亡くなり、追悼番組として再放送されました。ひょっとして原田芳雄が主演した『火の魚』もそうなるかと思っていたら、21日の午後10時にBSプレミアムで放送されまして、どうもこの枠はそういうめぐりあわせになってしまっているみたいです。

 なお、以下はドラマのネタバレを盛大にふくみます。録画していてこれからご覧になる予定の方は、お読みにならない方がいいでしょう。


 瀬戸内海の故郷の島へ帰ってきた老作家。ウォーキングから帰宅した彼を、東京から原稿を取りに訪ねてきた若い女性の編集者が迎える。最初は門前払いをくらわせたが、原稿の受け渡しを重ねるうち、次第に作家は自分が彼女へ好意を募らせていることに気づく。しかし、帰郷しながらろくに近所づきあいもせず孤独で偏屈な生活を送る彼にとって、他人に好意を抱くこと自体が恐怖であった。

 作家が「おまえは私は作品など一冊も読んでおらんだろう」と挑発すると、編集者はあくまで冷静に作家のすべての著作を読んでいると述べた上で、島に帰ってからの作家の小説はどれもひどく、ことに連載中の小説のヒロインは男性読者に媚びているだけだと断じた。
 東京にいて売れっ子だったころの作家は大いに無頼を気取って飲みかつ遊んだ。しかし、胃に腫瘍がみつかって手術をしたのを機に島へ戻り、酒も煙草も絶って一人で細々と静かに暮らしていた。

 次の原稿で作家はヒロインを殺して連載を終了させ、単行本の表紙にするため、ヒロインのモデルとなった卓上の赤い金魚の魚拓をとるよう編集者に命じる。金魚が死ぬと渋る編集者に作家は言う。
「じゃなにかい、この世には死んでいい魚と死んじゃいけない魚があって、金魚は死んじゃいけない魚だと、おまえ、そう思っているのか。で、人間だれしも自分を金魚だと思いたい。タイやイワシのように死に値する存在じゃないと。え?」
「だけどねえ、歳とりゃわかるよ。人生なんてのはかつて自分が金魚だった、それを魚拓にされるまでの物語だってことをな。実に意外でひどく残酷なんだよ。耐え切れるもんじゃないよ、それは」
 年配の作家にそう言われてしまえば、若い編集者として反論の余地はない。編集者は魚拓をとった。つねに冷静な態度を崩さない編集者が、珍しく感情を昂ぶらせるシーンである。
 しかし、作家がいくら屁理屈をこじつけようとも、彼が自らの立場を利用して命を弄んだことに代わりはない。
 早速、そのしっぺ返しがやってくる。さすがに良心が咎めたのか、編集者をつれて近所の料理屋へ行き、「なにかうまいもの」の注文に応じて出されたのはタイの活け作りだった。
 不機嫌に酒を飲む作家と、無表情に作りを口に運ぶ編集者。

 無論、それだけで終わるはずもない。その後の音沙汰なしに業を煮やした作家が編集部に電話をかけると、編集者は入院していた。二年前に手術した癌が再発したという。故意でないとはいえ、自分のしでかしたことの大きさに作家はおののく。

 作家はバラの束を抱えて見舞いに訪れる。
 自分と同じように死の影に怯え続け、その孤独ゆえに絆を感じていたとの編集者の言葉に、作家は絶句する。若いからそんな悩みなどないというのは、彼の勝手な思いこみにすぎなかった。
「私いま、もてている気分でございます」
 バラの花束を受けとってはにかむ編集者。
「あながち気のせいでもないぞ。……行く」
「はい」
「なにも言うな。行け」
 わかりやすい愁嘆場はない。去っていく編集者。見送る作家。後姿の編集者が振り向いて一礼し、また去っていくのをロングで捉えるカメラ。
 ラストシーン。モーターボートの艇尾で腕を組み白い航跡を見つめる作家。モノローグ。

 折見。おまえが持って生まれ、そして、おまえなりに守り通すであろうその命の長さに、俺がなんの文句をつけられよう。
 心配するな、俺とて後に続くのにそんな長くはかからんさ。

 自分の娘ほどの若い女が、おそらく自分よりも早く死ぬ。理性では受け入れながら、感情ではその理不尽さに憤り、荒れ狂っている。連絡船には小さすぎるボートの速すぎるスピードによって撒き散らされる飛沫の激しさが、作家の心象を表している。
 空を仰ぎ見て、作家は声を上げる。
「煙草すいてぇー!」
 毒も薬もひっくるめ快感を貪りつくしてなお飽きやまぬ、生命の業の深さを受けとめた者の叫びである。死を怖れるがゆえに生を手放した男が、再びその手に生きることをつかみ直した瞬間であった。


 この最後の台詞があまりに真に迫りすぎていて、演じた俳優がもうこの世にいないということがどうも釈然としません。寅さんじゃない渥美二郎とか、コロンボ刑事じゃないピーター・フォークが映画に出ていても納得いかないようなもんでしょうか。違うか。

 ちなみに、ヒロインの尾野真千子と脚本の渡辺あやの組み合わせが、次の連続テレビ小説に登板することになってまして、あの枠もひさしぶりに期待できそうです。未見ですが、渡辺あやは『その街の子ども』の評価も高く、どうしてもハードルを上げてしまいます。
 原作つきながら、『御宿かわせみ』で登場人物たちの心情を緻密に描いた山本むつみが『ゲゲゲの女房』の脚本を担当すると知ったときの期待感といいますか。
 もちろん、こればかりはふたを開けてみないとなんともいえないわけですけれども。

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