『水戸黄門』はとにかく津々浦々をめぐりながら、ご当地の役人のやることにけちをつけてまわるお話ですから、別にどこで始まってどこで終わるようなものではないと思います。
「大いなるマンネリ」と言われるぐらいですから、粗筋だけ拾えば、もう何度も同じ話をやっているんだろうなとも思います。あえていえば、『水戸黄門』とはあの磐石の世界観なのであって、誰がどうしたとこか、ストーリーがどうとか、そういう瑣末なことはどうでもいいのではないかと。
なので、あらためて「終わる」ということ自体が、なんだか逆に腑に落ちない気がします。
もっとも、きちんと見たことはないので、じつはそういうものではないのかもしれませんが。
水戸黄門42年の歴史に幕 視聴率低調
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1672578&media_id=8
はっきりいって、再開するために終わるのであることはほぼ自明でして、それをもって「終わる終わる詐欺じゃねえのか」と言えば言えるでしょうけど、そういう見え透いているところも、『水戸黄門』らしくていいかなと思います。
42年も続いた王道時代劇なればこそ、あまりこみいった小技を駆使しない方がいいと思うので。
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