巨大匿名掲示板2ちゃんねるには「食文化」というカテゴリがあって、私は好きでときどきのぞきにいきます。そこには、食にまつわる有意義な情報交換などというものはほとんどなくて、だいたい嘲笑や罵声が飛び交っています。
よくもまあ、一度も会ったことのない人をあれだけ罵ることができるものだといつも関心しながら読んでいます。というか、会ったことがなくて、目の前にいないからこそできるのでしょうけれど。
映像作品やゲームなど、いながらにしてきわめて安価に娯楽を享受できる現在ではありますが、むしろ、どんどん縁遠くなっているある根源的なジャンルがあります。それは「他人を蔑んだり見下したりすること」です。
いい歳をして「人を嘲笑ったり罵倒するのって最高だよな」とさわやかに言い放ったりすると、知り合いがどんどん減っていくのは避けがたいところですが、相手を見下している時、人間の脳内では快楽物質が分泌されるそうです。出るものは仕方がないので、それを踏まえてうまく付き合っていくのがいい大人だと思うのですが、匿名掲示板では野放しになっている姿をよくみかけます。
2ちゃんねるはそういうところだと思えば不思議はない気もしますが、なにがおいしいかであれだけ激しく言い争えるというのは、やはり特異なことではないでしょうか。
食べ物においても相手を打ち倒すに足る正義が自分にあるという確信がなければ、そこまで戦えるものではありません。われわれに『包丁人味平』しかなければ、事態はここまで重篤に至らなかったろうと思います。
正しい料理と間違った料理があり、両者を徹底的に戦わせれば、いずれ優劣が明らかになる、というのは『美味しんぼ』の持ちこんだ思想であって、あのマンガはそれを判定するためのいくつかのバックボーンももたらしました。それらこそが彼らに信念と使命感を与え、その熱狂的な戦意を支えているといえます。目的と手段が転倒してしまって、他人を見下すために料理を利用しているような局面も多々ありますが、それもまあそんなものでしょう。その様子は、崇高な理念を唱えながら、インディアンを虐殺し、黒人を使役しつつ領土を拡張していったアメリカ建国の神話をみるようです。マニュフェスト・ディスティニー。
実際の問題として、そこらになんらかの裏打ちがあると信じようとも、文章で食べ物の優劣をつけるなど、どだい最初から無理なわけです。ですから、そうした争いは別になんらかの決着をみせたりはせず、単純に面倒くさくなった方がやめるまで続くだけの話です。おそろしく不毛ではありますが、それぞれ互いが勝ったような気分になることも不可能ではなく、おかげでこの国は平和なのかもしれません。
誤解しないでおいてもらいたいのですが、もちろん、美味の発見と探求に余念のない、昔ながらの正しい意味でのグルメもいらっしゃることとは思います。ただし、匿名掲示板においては完全に悪貨が良貨を駆逐している状態です。それはそれでひどい状況ではありますが、見方を変えて眺めればそれなりに楽しめます。
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