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2011年05月01日22:03

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海原雄山

 初期の『美味しんぼ』に主人公の会社で外国からの賓客を接待する話があります。接待役に任命された登場人物は無知ゆえに相手方のタブーに触れて怒らせてしまい、ようやくこぎつけた謝罪の席では客側の文化コードをそのまま受け入れた振る舞いによって怒りを解かれ、めでたく話が収まります。しかし、このエピソードに違和感を持った人は多いのではないでしょうか。

 接待役として相手のタブーに触れないように事前に調べてそうした要素を取り除いておくことは必要ですが、それ以外については彼我の文化の共有している部分をベースにしながら、いかに相手をもてなすかを考えるべきであって、とにかく相手に盲従すればいいというものではありません。

 それは多文化主義や相対主義ではなく、エスノセントリズム(自文化中心主義)に対して、別のエスノセントリズムを持ってきて対抗させたにすぎません。あのエピソードのなかで相手を怒らせた態度と、歓心を買うことでその失敗を水に流した態度は、実はまったく同じものです。

 なぜあのエピソードがそういう話なのかといえば、原作者がそういう人間なのだからだと思います。雁屋哲といえば、論客としては反権力で左翼ということになっているようですが、相当な権威主義者でかなり権力志向も強いように私には見えます。
 世代として第一歩を反権力として踏み出してから、そちらの看板をかかげてきているわけですが、彼の反権力というのは、権力の圧力に抗して思想・信条を解放しようというものではなく、既存の権力が自らの奉じる権力と相容れないがゆえに反抗している、形を変えた権力闘争なのだと思います。

 『美味しんぼ』の登場人物でいえば、初期の海原雄山が最も近いでしょう。しかし、それは理由のないことではなく、主人公は作者の分身であってライバルはその鏡像である以上、ライバルもまた作者の一部ではあるのです。
 初期の海原雄山がアーキタイプとしてはきわめて類型的でありながら、ディテールにおいてひどく魅力的なのは、彼もまた作者の忠実な分身だからだと思います。

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