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2011年04月30日22:57

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『美味しんぼ』

 いまから盛大に『美味しんぼ』の原作者・雁屋哲の悪口を書こうと思っているのですが、念のために検索してみたら、ネットではすでにひどく批判されているのを知り、かえってやりにくくなりました。でも、諦めずに頑張っていこうと思います。

 ブームのころにはけっこう感心しながら読んでいましが、いつからかひどく不愉快なマンガだと思うようになり、今では『美味しんぼ』に書いてあったことを思い出すと、できるだけ逆のことをやるようにしています。それでちょっとやそっと食べるものがまずくなっても、別にかまわないと思うぐらい私にとって遠ざけたい存在です。それはそれですごい影響を及ぼしていると認めざるをえないわけですけれども。

 ちなみにことわっておきますが、『美味しんぼ』の類型的すぎる人物造形とか、あまりにもご都合的すぎる展開などは、むしろ好きです。そのあたりは、いわゆるジャンルものの宿命でして、とにかく食べ物のウンチクにページを割かねばなりませんから、それ以外は語り口の効率を優先して、さっさと片付ける必要があります。それにしてももう少しどうにかした方がいい気はしますが、原作者によって否定されるためだけに生み出された登場人物が、自己啓発セミナーも顔負けの無理すぎる展開で追いこまれていく過程は、むしろ、その強引さが非常に楽しめます。

 それから、食べることを扱ったマンガやドラマは一般的に好きです。食べることを通じてある人物の内面や複数の人間たちの関係性が明らかになっていく過程は、だいたいにおいてスリリングであるといえます。これもまたジャンルものの宿命として箸にも棒にもかからない駄作を一方では量産しつつ、それらを糧にして傑作・佳作も作られています。

 駄作は駄作で興味がわかないというだけのことであり、べつに嫌悪してはいません。それなのに、なぜ『美味しんぼ』だけがそんなに嫌いなのか、自分でもしばらくよくわかりませんでした。つい最近になって思ったのは、彼はある劇薬を用いることによって当時は圧倒的に支持され、それによってまた同じく今は嫌われているのではないかということです。
 多くの人が指摘しているように、『美味しんぼ』連載開始当時、すでに『包丁人味平』など先行する同テーマのマンガは存在しました。しかし、『美味しんぼ』がそれらと一線を画して料理マンガというジャンルを築いたのは、食に権威主義を持ちこむというアイディアが画期的だったからではないかと思います。

 当時、すでにグルメブームについての批判はありました。私がおぼえているのは、教条的だとするものでして、たしかにウンチクを積み上げるという意味では教条的ともいえましたが、どうもその表現はピンときませんでした。むしろ、『美味しんぼ』は、まだ食についての知見の乏しい世間へむけて、権威によって序列・図式化してまとめたわかりやすい食の世界を提示し、また権威という毒を隠し味にすることで読者を酔わせてることにより人気を集めたわけで、教条的というより権威主義的というほうがしっくりくると思います。

 このマンガは、主人公とヒロインが味覚の鋭さを買われて記念事業の担当者に抜擢されるところから始まります。味覚の鋭さはセンサーの感度と同じものであって、鈍いよりそうでない方がいいとしても、なにを美味とするかは好みの問題であって、野球とサッカーはどちらが好きかとか、どの音楽ジャンルをよく聴くかと同じ次元のことでしかありません。しかし、この作品については味覚の鋭さと、なにが美味かを選別する能力をあっさり同じものとして物語を開始させます。いささか常軌を逸しているというか、はっきりいって頭がおかしいと思いますが、とにかく嗜好の問題にすぎないことを、すり替えられた客観的基準や権威によって裏付けして話を進める『美味しんぼ』イズムは、すでにこの時点において炸裂しているといえます。

 正しい料理と間違った料理があり、対決させて優劣を判定し勝敗を決するというアイディアは、対立の構造をメインに据える少年マンガ誌の連載ともきわめて相性のよいものでした。『美味しんぼ』の場合、勝敗の裏付けをするのは各種の権威であって、その論旨は時に明快すぎるほどに明快で切れ味が鋭く、読んでいて小気味よくとにかく痛快でした。序盤においてもっとも援用された権威は北大路魯山人でしたが、時により抽象的な、食の安全や環境問題がそこに引き出されてくることもありました。『美味しんぼ』が単なる料理マンガではなく、より社会性が強い「高級な」コミックである一例として、これらが持ち出されることは多いですが、往々にして権威づけのため駆り出されてきた感が否めません。

 雁屋哲は食について多くのことを啓蒙し、マンガのみならず社会そのものに大きな影響を与えました。そのことを認めるのは、私もやぶさかではありません。しかし、連載が進むにつれて、食についての一般の知見が進み、より幅広い視点から多くの書籍・映像作品が作られ、過去の著作にも光が当てられるようになって、むしろ、『美味しんぼ』の特殊な料理観が浮き彫りになり、批判にさらされることが多くなりました。
 各国の料理やアルコールもふくめた食というものは、扱う範囲が広すぎてそもそも個人の手に負えるものではありません。さらにマンガ雑誌の発刊ペースにあわせるとなれば至難のわざで、取材不足を露呈することも多くなっていき、誤った記述のため文庫に収録されないエピソードもでてきました。まったくの間違いなしに30年も連載することはほぼ不可能でしょうから、それらをいちいちあげつらうことはフェアでないし、ここでそれはしませんけれども、自らが引き上げた一般の知識レベルを満足させられないようになってしまいました。
 つまるところ、『美味しんぼ』は自らの作り出したムーブメントに追い越され、飲みこまれてしまったわけです。基本的にこの時点でこのマンガの役割は終わっていたと思います。

 とはいえ、食とはすなわち権威であることを刷りこまれ、いまもってその考えを信奉する原作者の遺児たち(存命ですが)は、この瞬間も戦いをくり広げています。それについてはまたいずれ。

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