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2010年08月12日15:20

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「拘置所からの読書感想文」6

順を追って話そう。

先にも書いたように、知識も教養も貧弱な俺は、いざ物を書く段になって自分には何も材料がない事に行き詰まった。そこで俺は開き直って(そう、開き直るのが俺の悪い癖だ。ガキの頃からよく逆ギレ野郎と言われたものだ)根無し草の自分を更に切羽詰った生活に晒すことで、そこから沸き上がる何かを書き留めようと考え、季節工やホームレスに自ら進んでなった。

それは、ちょうど島尾敏雄の『夢の中での日常』の主人公みたいなものだな。
そして、それと同じようなジレンマに陥ったわけだ。

自分と自分が書くものとの等価を試みればみるほど、自分の実体が失われていく気がした。いや、実体というものはそもそもないのではないかとさえ思うようになった。
言葉にすればするほど、自分がその言葉に束縛されていくのを感じた。

自分が物書きとしてホームレスを取材しているうちは、俺はホームレスの本当の所を決して理解できず、本当のホームレスになっても、今度はそこで俺が言葉にするその内容が、ホームレス「というもの」を画定してしまい、広がりあるホームレスの「本当」を描けないのだ。

俺は呪われているような気分に陥った。

そう、それはまさしく言葉の持つ「呪力」なのだ。

言葉というのは、対象を切り取りそれ以外のものとの差異化することによって成立する。
だから言葉にするという行為は、それによって表現されなかった世界を切り捨てていくことに他ならない。言葉は世界から自由を奪うのだ。

言葉にするというのは、対象を自分の規定したものに封じ込める行為と言える。呪いのように。

『アイの物語』にもその呪いは描かれているな。
自分たちの意志ではなく、人類の夢を引き継いで宇宙に進出し、別の知性体を探そうとするロボットたち。
それを先生は、人間の思いを受け継いでくれるものがいるという感動的なエピソードとしたかったのかもしれないが、これはロボットの側に立ってみれば、夢という言葉に自縄自縛になっているに過ぎない。
目的を定めることもなく、意味もなく知性体を探し宇宙に飛び出すロボットからは、人間の言葉に呪われてしまった禍々しい姿しか見いだせない。

言葉というのはつまり、そういう「呪い」そのものなんだ。


そうやって言葉の呪いを実感してくると、物書きってのはずいぶんと因業な職業だと思うようになった。自分の言葉によって、自分だけでなく世界に呪縛をかけようとしているのが作家というものの正体なんだから。
あるいは表現者というのは中世の頃の魔女のようなものと言っていいだろう。白魔術師もいるだろうが、本質的に相手を自分の術中に入れて操ろうとする悪魔の申し子だ。
そんなヤクザな商売を目指す俺は、チンピラ学生だった頃より確信的にならず者なんだと自覚したよ。



そんな俺にもいつしか女ができて、穏やかな生活が訪れたこともあった。
その平和に、俺もこのまま普通の堅気の生活を送るのもいいかなとさえ思うようになった。
今でもあの日々を思い出すと、何とも言えぬ胸に込み上げるものがある。

そんなある日、女が妊娠を告げた。

ずいぶん逡巡したんだが、結局俺は女に堕ろせと強要した。
俺のような男のミームが残されることに、言い知れぬ違和感があったし、それによって俺は何も書く事ができなくなるとの危惧があったからだ。
子供という自分の存在証明が確固として与えられることで、自己保存本能が満足し、表現によって自己を世界に誇示するインセンティブが失われると恐れたのだ。


嫌がる女を俺は殴って言うことをきかせた。信じないかもしれないが、俺が女に手を上げたのは、妹を含めてもそれが生まれてはじめてだった。
それまでのどれほどの説得も聞かなかったあいつは、その一発でシュンとなって折れた。
あいつは10週目になる体で一人で医者に行き、無言で帰ってきた。まるで抜け殻のようになって。

それから程なく、何も告げずに女は俺の元から去った。
そうなることはわかっていた。


しかし、皮肉なことに、それからの俺は逆にまったく何も書かなくなった。
俺は自分の言葉が規定したピカレスクに、いつしか実体生活を飲み込まれてしまったのだ。
リアルに体験する犯罪を、追体験するように言葉にする必要はなくなった。




続く
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