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2010年08月04日11:30

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陽炎家

なぜ 高齢者の不明事件相次ぐ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1297534&media_id=2

「ちっ、なんでこんな暑い日に戸別訪問なんてしなきゃなんないんだ。」
世田谷区区役所市民振興課戸籍係の村瀬は、首筋をしとど流れる汗をハンカチで拭いながら独りごちた。
連日の記録的な猛暑は、この日も容赦なく乾いた都会の街角をオーブンに変えていた。アスファルトに滞る熱気が陽炎となって目の前が揺らいで見えた。
いや、揺らいで見えるのは熱中症の前兆かも知れない。事実、暑さで頭は朦朧としていた。
とにかく早いこと終わらせて、クーラーの効いた庁舎に戻らねば。

手元の記録によれば、これから訪れる桜新町の家には二人の百歳を越える高齢者がいるはずだった。
一人は明治34年、西暦では1901年生まれで、御年109歳。もう一人は明治28年、西暦1895年生まれで、今年115歳になる日本最高齢記録者だ。
だが二人とも年金受給の申請はしていない。この5年間、健康保険が使用された記録もなかった。

確認するまでもない。
明らかに届けが提出されなかったことによる記録漏れだ。
考えられるのは、二人とも年金受給の歳になる前に死亡して、身よりもなく死亡届けが提出されないまま、身元確認もされずに処理されてしまったのか、あるいは転居届を出さないことで当庁に住民台帳だけが残されてしまったのか。その場合も、その後どこか他所で行旅死亡人として処理されたのだろう。
日本中で毎年そうやって数百数千の身元不明遺体が処理されているのだ。

足立区みたいにミイラを発見するのは御免被りたいが、住民票の訂正やそれに伴う確認作業も面倒で気が重い。
わずか20人の部署で区内数万人の高齢老人の把握管理なんてできるわけも無いのだ。
必然、地域の民生委員の協力を仰がななければならないが、彼らは所詮ボランティアであって、十全な仕事を期待できるわけではない。実際に管理責任を負わされ、こうして動かなければならないのは我々下っ端役人なのだ。
だいたい実害も実利もないような住民を、いちいち管理していなければならない理由なんてありはしない。役所にとって、税金を払いもしなければ行政サービスを受けもしない市民なんてのは、存在しないも同然だ。
言わば架空の存在なのだ。
そんなもののために自分たちが使役され、その分市民へのサービスが滞るのは、全く本末転倒としか言いようがないではないか。

そんなことを考えているうちに目的地に到着した。


普通の平屋の一軒家だった。いや、バブル以降土地価格の高騰したこのあたりにしては、小さいながら庭もあり、縁側もある贅沢な造りと言える。無人の廃屋ではなく明らかに居住の様子が伺える。

誰かが住んでいるんだ。固定資産税はどうしてるんだろう。
やっぱり何か犯罪が絡んでいるんじゃないだろうか。

そんな疑惑を浮かべる村瀬の足元を、突如猫が通りすぎていった。口に何かを咥えていたようだったが良く見えなかった。間髪をおかずに勝手口のドアが開き、包丁を持った人物が襲いかかってきた。
包丁には今しがた付いたばかりと思われる血痕が見えた。

「わぁ。」
腰を抜かす村瀬に、覆いかぶさるようにして見下ろすその人物の足は裸足のままだった。
その異様な姿に村瀬は息を飲んだ。

三十がらみの少し生活臭のにじむ女。
村瀬を確認するとそそくさと包丁を後ろ手に隠し、取り繕うように作り笑顔を向けた。
「あら、ヤダ。オホホホ。」

村瀬の脳裏に以前読んだ貴志祐介の『黒い家』が思い浮かんだ。
保険金のために自らの家族を犠牲にするサイコパスの女。
もしや、この家の内奥でも、今しがた同じような惨劇が繰り広げられていたのでは。

いや、よもやそんなことはあるまい。
あの包丁は魚でも捌いていたんだろう。そうに違いない。
気を取り直して、おそるおそる村瀬は尋ねた。
「い、磯野さんですか。」
「あ、はい。あら、いいえ。私、フグ田です。」
「あの、磯野波平様とフネ様はこちらにご在宅でしょうか。私、区の住民振興課の者なのですが。」
玄関に招じ入れられた村瀬は手の震えを抑えながら名刺を差し出した。
「あ、父さんと母さん。いえ、父はまだ会社ですけど、母ならいますわよ。」

会社って、115歳で会社に何の用だってんだ。働いてるってのか。
第一、どう見たってその子供って歳じゃないだろう、あんた。

予想外の返事にあきれ返って喉元まで出かかった言葉をようやく飲み込んで、村瀬は努めて平静に言葉を続けた。
「ニュースでご存知かと思いますが、高齢者の状況確認というのを、この度することになりまして、こちらの磯野波平様とフネ様が共にご長寿ということで伺った次第なんですが。」
「ご長寿って、そんな歳じゃないですわよォ。父も母も。」
「いえ、戸籍を調べまして、お二人とも明治生まれでいらっしゃって、確かそのお子さんも大正生まれだったかと思うのですが・・・、あの、失礼ですがあなたと磯野様とのご関係は。」
「あら、あたしは正真正銘の長女です、波平とフネの。小学生の弟と妹だっていますよ。」

「ただいまぁ。」
玄関の引き戸を乱暴に開けて、二人の横を駆け抜けるようにして少年が家に入って来た。ランドセルを部屋の中に放り投げたかと思うと、かわりに野球のバットをつかんで、すぐさま勢い良く飛び出していった。
「いってきま〜す。」
「カツオ。宿題は。」
その少年は今時珍しいいがぐり頭で、やはり今時見かけなくなったぴったりした短パンを穿いていた。

「おねぇちゃ〜ん。タマ見なかった。」
抱き人形を持った幼女が奥から出てきた。
これまたレトロな刈り上げオカッパ頭で、パンツが見えるほど短いワンピースを身につけている。

何かがおかしい。

村瀬は軽い目眩を覚えた。
それは暑さのせいではない。目の前の人物たちが醸しだす奇異な雰囲気が、現実世界との歪みを生じさせているせいではないかと思えた。
何か白日夢を見ているような非現実感がそこにはあった。


「あ、あの、確認をさせてください。
今ここに住民台帳の写しがあります。これによりますと、この家の世帯主は磯野波平様でその奥様はフネ様。ご同居されているのはご長女のフグ田サザエ様とご主人のマスオ様、そのお子さんのタラオ様。それと磯野様のご長男カツオ様と次女のワカメ様ということになっているんですが・・・。」
「そうですよ。私長女のサザエでございま〜す。」

「だとすると、この一番お若いタラオ様にしても、現在53歳になっていることになるのです。」

チリン。
塀の脇の草陰で鈴の音が鳴った。
先ほどとは違う首に鈴をつけた白い猫が、開け放たれた玄関越しにこちらをじっと凝視していた。

「あら、ヤダ。これじゃ私、今88歳ってことじゃない。そんな馬鹿なことが・・・」
写しを覗き込みながらそう言いかけた声が狼の唸りのように嗄れたかと思うと、女の姿がみるみる老人の姿に変貌していった。パーマをかけた黒々とした頭髪は一瞬にして白髪に変わり、顔には皺が走り、干からびた泥土のようにひび割れた。

「うわぁ。」
再び腰を抜かした村瀬は、後ずさりするようにして女から離れた。
「ああ〜。」
背後の家の中で力ない叫び声が上がった。
そこには台所の流しの前に座り込む別の老女がいた。
その手には抱き人形が握り締められていた。
もう片方の手は前方に差し伸べられ、その先には抜け殻のような着物が床に落ちていた。
白い割烹着をつけたその和服は、今まさにそれを身につけて料理をしていた人物が空気のように消えてしまったかのようだった。
それを見つめる老女の目には痴呆の色が浮かんでいた。

村瀬は動揺した。
警察に連絡しなくては。
携帯に手を伸ばしたが、思いとどまった。
いったいどう説明すればいいんだ。電話で話したってイタズラ電話だと思われるだけだ。
村瀬は自分が体験した怪異を共有してくれる誰かが欲しいと思った。
とっさに隣家に駆け寄りドアを思い切り叩いた。
「誰か。誰かいませんか。今、隣で・・・」
玄関ドアを開けメガネをかけた若い男がのっそりと現れた。

「磯野さんがどうかしましたか。」
よかった。この人は磯野家を認識している。この人にあの状況を見せればきっと理解するはずだ。
「い、いきなり老人に。いや、人が消えたんです。いや、とにかく一緒に来て下さい。」
慌てふためく村瀬に、青年は泰然としたまま言った。
「人が消えた?夢みたいに?」

「そう、夢みたいに。・・・・え?」
何だ。この男。

「それはきっと、本当に夢だったんじゃないかな。

僕もこれで25年の夢が終わるんだ。無限の浪人生活が・・。」

そう言うと青年の姿は村瀬の見ている目の前で消えていった。

叫び声も上がらなかった。恐怖を通り越して自分に対する不信が渦巻いていた。
目だけは赫奕と開かれたまま、村瀬がもといた家に戻ると、そこはさっきまでの様子から一変していた。
玄関のたたきまで見通せたはずの入口は完全にロックアウトされ、出入りもできなくなっていた。その内部は、鬱蒼と生い茂る雑草に侵食されて、今にも朽ち果てそうな廃屋が佇んでいるのだった。

自分は夢を見ていたのか。
だとしたら、どこからが夢だったんだ。


チリン。
目の前を鈴を付けた白い猫が通り過ぎた。
さっきの猫だ。この猫は夢じゃないのか。

猫の行先には、廃屋の生垣の切れ間からプラスチックの容器でエサを与えようとしている男がいて、猫の名を呼んでいた。
「タマ。タマや。」

村瀬は男に近づいて背後から尋ねた。
「この猫はタマと言うんですか。」
「ああ、これは私の猫じゃないんだよ。地域猫。いや、この家の猫かな。この廃屋に棲み付いてるんだ。」
男はしゃがんで猫にエサを与えた姿勢のまま、振り向くことなく答えた。
「いつから?」
「そうさな。もう50年以上かな。」
「そんなに猫が長生きする訳ないじゃないですか。」
「ははは。そう、何代も引き継がれているのさ。
この家に棲み付く猫をタマと呼ぶのか、タマと言う名の猫がこの家に棲み付くのかはわからないがね。
シロ。シロ。
ほら、違う名で呼んでも知らん顔してるだろ。」

男の顔は見えないままだった。なぜか村瀬はこの男を昔から知っているように思えて仕方なかったが、あえて顔を見たいとは思わなかった。

「この家は。」
「ああ、もうずーっとこのままだよ。
昔は長谷部だか長谷川だかいう三人姉妹が住んでいたんだが、みんな行かず後家で亡くなっちまってね、相続でゴタゴタしてるうちに、結局権利が宙ぶらりんになっちまったんだな。
それからずっと、タマが一匹でこの家を守っているのさ。」

「この猫が・・・。」

チリン。


胡蝶の夢。
自分が今体験したことは、この猫の夢だったのではないか。
いや、猫が夢を見ているんじゃない。夢の方がそれを見る猫を引き継いでいるんじゃないのか。
架空の夢が、存在を、世界を、繋いでいっているとしたら・・・。

そんなとりとめもない妄想が、夏の直射日光の照りつける,村瀬の頭に浮かんでは消えた。


道端のアスファルトには逃げ水が揺らいでいた。
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