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2010年04月29日21:05

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『素直になれなくて』

 いちおうツイッタードラマという触れこみで放送が開始されましたが、よほど素直な人以外、これを真に受けたりしなかったと思います。
 ツイッターというのは、基本的に言いっぱなし流し読みで、深く掘り下げるのではなくて広く浅くを指向するサービスです。書店に本を探しに行くと、関係ない本が目についてそっちに興味が移ってしまい、結果として予定の数倍の出費になることが往々にしてありますが、ネットというところは結果へダイレクトにアクセスできる反面、そうしたまわり道を切り捨てがちなきらいがあります。おそらくツイッターというのはそれに対する危惧があって、ほとんどがノイズであってもとにかく幅広い情報に接するためのサービスとして用意されています。フォローしたアカウントからの発言しか受信しないとなるとえらく狭い感じがしますが、そこは根本的に当人が選ぶこととして、とにかくたくさんフォローすることが前提になっており、内部的にもそういうシステムになっているのではないかと思われます。双方向のやりとりを成立させるということに関しては、かなり歩留まりの悪いサービスといえるでしょう。

 ところが、瑛太と上野樹里と北川悦吏子がプライムタイムのドラマとなれば、べたべたの恋愛ドラマしかないわけでして、この食い合わせはかなり悪いとしていいようがありません。案の定というべきか、ドラマはオフ会から始まってしまうわけでして、この時点ですでにツイッターの意味はまったくありません。その後も主人公たちはお互いの連絡にツイッターを利用しているのですが、特定の相手とのやりとりならば、どう考えてもメールの方が適しています。

 いかにも流行りそうな要素をぶちこんでおけば、話題になってそれだけ視聴率も増えるだろうというテレビ屋と広告代理店が酒を飲みながら適当に話したことがそのまま形になっているドラマです。見ている時点で負けているわけですが、脚本家の北川悦吏子がこのドラマを担当するにあたってツイッターのアカウントをとって発言してまして、これがまた別の意味ですごいことになっています。
 それによると、ツイッタードラマであるということはフジテレビが言っていることであって、自分は青春群像劇のつもりなんだそうです。フジテレビがやらかしたということについていえば、これまでのことを考えてもありうることかなというか、別に違和感は感じません。とはいえ、各シーンでかなりむりやりにツイッターを挟みこんでいる以上、脚本家もそれを受け入れて執筆していることは確実でして、ここに及んで自分は関係ないとでもいいたげな物言いは、沢尻エリカの「別に」とそんな変わらない気がします。

 北川悦吏子という人は恋愛ドラマで一世を風靡した人ですから、私はこの人のドラマを見るのがこれが初めてです。漏れ聞こえてくる評判を耳にするにつけ、センスで書いている人だろうなとは思っていました。今回、それを確認してしまったわけですが、ツイッターでのやりとりで、売り言葉に買い言葉かもしれませんが「自分はリサーチしない」と言い切ったのを知ったときには、さすが大御所は言うことが違うと感心することしきりでした。
 「北川悦吏子はいよいよ3度目の90年代に突入したらしい」というツイッターの発言を読んで笑ってしまったのですけれど、基本的にこの人は1つの話しかかけないのだろうと思います。もちろん、それでなんの問題もなくて、最も太いところをがっちりつかんでいるわけですから、変な色気がないだけにむしろ安定しているといえます。しかし、新しい要素を組みこんでドラマを成立させる手腕は、やはりありません。結果としてドラマ全体がピントのずれたものになっています。そこはプロデューサーなりが判断すべきと思うのですが、ドラマとしての一貫性よりとにかく流行のアイテムをつっこむことが優先なのでしょうか。病んでいると思いますが。

 病んでいるといえば、脚本家の発言がけっこうキテまして、今日はこれから第3話を放送するのですが、今週のはじめにまだ第6話を書いているとのことでした。おとついあたりにひとつ終わったという発言があったので、第7話にとりかかったと思ったのですが、今日の朝に第6話を送ったと言っているので、この前に送ったのは初回の反響を受けてすでに送った原稿を書き直したみたいです。正直、このスケジュールではリライト陣が脚本の穴をチェックしたりはできませんし(というか専任で脚本をチェックする人間はいないでしょう)、絵コンテをおこしてカット割が云々なんて余裕もなく、現場はリハーサルもろくになくほとんどぶっつけ本番でどんどん撮っていく様子が目に浮かびます。だいたいそんなもんかとは思っていましたが、ストーリーのつながらないテレビドラマがよく放送されているのはそういう事情かと納得しました。
 第一回の冒頭のシーンは主人公が「開けろ」とドアを叩いても中からは反応がなく、やがてドアの下からたらたらと血が流れてくるというショックシーンです。そこから回想として時間軸が巻き戻って物語が始まるのですけれど、現時点ではそこでなにがあったか確定していないということです。少なくとも脚本には書かれていないわけです。なんせ最終回の脚本がまだないのですから。もちろん大まかには決まっているのでしょうけれど、これから変わる可能性もかなりあるのではないかと思います。他人事ながら、少し心配ではあります。

 脚本家のつぶやきが「そんなことも書くのか」と驚いてしまうのですが、基本的にすごく無防備な人らしくて、よくこれまで社会生活を送ってこれたなと感心してしまうほどです。紙一重という意味でほとんど天才な人なのかもしれません。
 ドラマとしては渡辺えりの怪演ぐらいしかみどころがありませんが、なんだか目の離せないドラマです。

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