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2010年04月25日07:32

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ハーバード白熱教室

 ハーバード大学は講義を公開していませんが、あまりに評判が高くなりすぎて解放せざるをえなかったのがマイケル・サンデル教授の政治哲学だそうです。
 これを教育テレビで深夜にまとめて再放送していたのですが、これがまあ、おもしろいのおもしろくないの。どっちだよって話になるわけですが、おもしろかったです。

 状況を設定したうえでどのように判断するか学生に答えさせ、それに応じてどんどん議論を深めていきます。
 教室といっても2階席のある劇場のようなステージです。私は新大久保にある東京グローブ座みたいだなと思ったのですが、この劇場はロンドンのグローブ座を模したそうなので、ハーバード大学のあそこも元ネタはそっちかもしれません。
 そう思うと講義の様子がシェイクスピアのソロパートを演じている俳優のように見えますから不思議なものです。教育には舞台装置も大切なのでしょう。

 生徒への問いかけは「あなたはブレーキが壊れた列車の運転席にいて、そのまま直進すれば5人の工夫を轢いてしまうが、横道にそれたなら1人の工夫を轢くことになる。さて、どちらを選ぶか?」といったところからはじまって、「あなたはブレーキの壊れた列車が爆走する線路の横にいて、先には5人の工夫がそれとは知らずに作業をしている。あなたの横にいる男を列車の前に突き倒せば止めることができて5人の工夫を救うことができるが、どちらを選ぶか?」という質問に発展したりします。
 また、「心臓・肺・膵臓・肝臓・腎臓にそれぞれ障害のある患者がいて死を待っている。そこへ健康な男が健康診断にやってきた。この男の臓器を用いれば5人の患者を救うことができるが、どちらを選ぶか?」という設問もあります。生徒の答えは「5人のうち誰かが死んだら、その臓器で残り4人を救う」だったりしますが。
 あるいは、難破した船の乗組員が1人を殺し、その肉と血で生き延びた末に救助され、裁判にかけられた実際の事件が取り上げられていました。

 いずれもきわめて具体的かつ平易で、難解な語句や観念を弄ぶようなやりとりは一切ありません。中学生なら十分に理解できます。それでも、教授の背後には圧倒的な知性があって、学生がどんな返答をしたとしても講義をコントロールして、学生たちに必要な知識を授けるであろうことはこちらにも伝わってきます。
 こういうやりとりをくり返すことで、学生が哲学というものを骨肉と化していく過程を傍から眺めている気分になります。それはとてもスリリングな光景です。

 振り返って日本の日常で哲学という言葉が使用されるのは、どんな場面でしょうか。私がとりあえず思い浮かぶのは、「あいつには哲学がない」という言い回しです。このフレーズが出てくる場合には、ほとんど特定のパターンがあって、それは言っている当人の哲学がはっきりしないということです。
 他人を攻撃するについては有効だけれど、その実体についてはかなりなおざりに扱われている言葉はけっこうあります。哲学はまずその代表格といっていいでしょう。
 哲学がないこと自体は別に仕方がないというか、いかなる哲学の信奉者であるよりも、「融通が利く」「空気が読める」ことにより大きな価値が置かれる社会にあっては、そんなものはむしろない方がいいのかもしれません。別にニヒリズムから言っているわけではなくて、100年以上使っても結局は身につかなかった言葉にこだわるより、それ以前からある知恵の集積をなんとかしてどうにかした方がつまりは近道のはずです。
 なんとかしてどうにかするというのが、いかにも非哲学的ですが。

 ちなみに、『ハーバード白熱教室』は日曜の午後6時からまだ何回かあるそうなので、お暇な方はぜひ。暇でない人は無理して見なくてもいいと思います。えらく推してしまいましたが、まあその程度です。

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