mixiユーザー(id:7106525)

2010年02月21日17:42

30 view

斎藤貴男『機会不平等』;第四章 市場化される老人と子供

176ページ
---- [start] quotation ----
第四章 市場化される老人と子供

わずか八畳の民間アパートの一室に三十一人の子供がすし詰め。神奈川県の学童保育の子供たちは雨の日が嫌いだ。雇用調整の結果、急増した「共働きでなければ生きていけない世帯」。だが、女性が安心して働くための社会的インフラは、財政改革の名のもと、逆に切り捨てられていく。
---- [ end ] quotation ----


183ページ;介護保険制度スタート
---- [start] quotation ----
2000年4月1日、介護保険制度がスタートした。国や地方自治体の公費で賄われていた高齢者介護が、97年に成立した介護保険法の施行に伴い、利用者に一定の負担を求める社会保険方式へと変更されたのである。
---- [ end ] quotation ----

187〜188ページ(一部省略);介護保険制度スタート
---- [start] quotation ----
憲法や社会福祉各法に基づき、行政の公的責任で保障してきた従来式の福祉のあり方は、「措置制度」と呼ばれている。これを社会保険方式主体に改めることの意義を、大森教授らの報告書は次のように述べていた。

〈社会保険方式は、措置制度と比べると、保険料負担の見返りとしてサービス受給が位置づけられているため、利用者の権利的性格が強く、利用に当たっての心理的な抵抗が少ない。このため、マクロ的には、ニーズに応じてサービス供給を拡大させる方向に機能していくことが期待される。〉

措置から権利へ――。謳われている理念通りに運ぶなら、それは結構なことだ。では、現実はどうだろうか。
---- [ end ] quotation ----

全くだ。どうだろうか?



195ページ;勝手に撤退の危険性
---- [start] quotation ----
高齢者も高齢者予備軍も、この国では第一に“市場”として扱われるようになった。とすれば、住宅や自動車販売の世界と同様に、企業に利益をもたらす“有望な”“消費者”は優遇されるが、そうでない者は軽視されていくのも、また自然の成り行きである。
---- [ end ] quotation ----

自然淘汰かよ…


200〜203ページ(一部省略);弱者を排除するシステム
---- [start] quotation ----
高齢者介護とは、行政責任とは何なのか。横浜市の特養老人ホーム「今井の郷」で理事を務める長澤徹郎氏の指摘が参考になる。

「正直に言って、福祉施設に就職するのはあまり恵まれていない立場にいる人々である場合が多いのです。本来は優れた心理学者のような能力が必要だと私は思うのですが、実際には能力や技術などより明朗さ、不平不満を言わない、我慢強いなどの資質の方が採用の際に重視される。

社会全体で解決していかなければならない問題が、そういうところにばかり押しつけられる構造が、介護保険制度によってますます強化されているのではないかと心配です。現場はただでさえ疲弊していて、職員の定着率も他の職業に比べてずっと低いのに、一体どうなってしまうのでしょう。

過日、私は公の機関が開催した介護保険に関するシンポジウムに主席しましたが、ある講師がこう話していました。『特養ホームしかやっていないような零細施設は淘汰されていく。病因から老人保健施設まで手広く展開している医療法人や企業を軸に再編成が進むだろう』と」

市場原理とはそうしたものである。だが、事は人間の生、あるいは死の問題に深く関わっている。

2000年7月3日、東京都武蔵野市の高層マンションの一室で、妻(62歳)が寝たきりの夫(82歳)と無理心中を図る事件が発生した。夫を刺殺した後で自らの首を切ったらしい妻は一命を取り留めたが、後日、「サンデー毎日」編集部に、彼女からの“遺書”が届いた。〈総理大臣と厚生省に物申す〉で始まる“遺書”には、パーキンソン病を患い「要介護3」の認定を受けた夫をめぐる悲惨な体験が、ワープロ書きで綴られていたという。新制度導入前の措置制度下ではヘルパーに恵まれていた夫婦を取り巻く環境が、介護保険で一変したとして、「サンデー毎日」はその妻の遺書を紹介している。

〈吾れつらつら考えるに、ヘルパーのあまりの質の劣悪なるはすべてこれ業者のピンハネの多過ぎるが根本原因なり。(中略)それにて犠牲を被るは要介護者なり。〉

ヘルパーとのトラブルが続き、この夫婦は介護サービス事業者にも相手にされなくなっていく。行政の判断で強制的な入院措置が取られたものの、妻の強い要望で夫は一週間後に退院。二人だけの“老老介護”生活が始まったが、夫に痴呆の症状が現れ、さらには転んで背骨を折り、再入院することになった。

〈夫は寝たきりとなるなり。それと同時に痴呆症進むなれば、もうそれは夫にはなかりき。吾れ病院から帰る時万感の思いを込めて夫に、

「さようなら。」と言えり。夫は只病院から家へ帰ると思いて、

「さようなら。」と返事せり。吾れ思わずもう一度夫の手を握りしめて言へり。「さようなら。」と。〉

六月下旬になって、夫は再び退院する。武蔵野市の職員が再々入院を勧め、妻も了解したが、職員が迎えに行くことになっていたまさに当日、事件は起こってしまった。

“遺書”が投函されたのは、この前日だった。厚生大臣をはじめ厚生省介護保険課長、菅直人・元厚生相、土屋正忠・武蔵野市長らに宛てた電報の発信証明も同封され、そこには〈わが夫は介護保険の犠牲者となりて、今は生きる屍なり〉と、したためられていたという(「サンデー毎日」2000年8月6日号)。

記事によれば、無理心中を図った妻は精神障害者の認定を受けていたという。しかし、だからといって、この事件が特異なケースとは言い切れない。
---- [ end ] quotation ----

悲しい事件だ。

いくつかのキーワードでぐぐってみたが見つからなかった。



212〜213ページ(一部省略);劣悪すぎる指導員の待遇
---- [start] quotation ----
東京二十三区の学童保育は、従来、他の自治体に比べて充実していた。公設公営はもちろん、70年代の美濃部亮吉都政以来、指導員も教育資格などを持つ常勤の専門職で、各区の正規職員として雇用されてきた。

ところが90年代に入ってから、学童保育指導員の採用は非常勤に限られるようになり、正規職員の退職者は補充されなくなっている。

教育や福祉が市場化されていく規制緩和、あるいは“改革”の中で、公設公営が増加している学童保育は、一見、他とは別の道を歩んでいるかのように映る。だが、そうではない。児童福祉の分野でも、高齢者介護と同様に、公費による措置制度の縮小、直接契約方式を導入するべきだという発想は強まっているという(竹中哲夫「児童福祉施設体系改革の動向と展望」『子供の世界と福祉』[改訂版]179ページなど)。

ただし、同じ小学生を相手にするのでも、学童の子供たちは学習塾やお稽古ごとの教室と大きく異なり、市場経済にとっては価値の乏しい“消費者”と見做されている。責任の重さや保護者たちの置かれた状況などを考慮すれば、学童の企業化は不可能に近い。やむなく自治体がこれまで以上の役割を果たすことになり、妙な格好のリストラが始まる、というメカニズム。

芳水学童の下浦さんが続けた。

「美濃部都政の否定なのでしょうか。学童の必要性が認められたから法制化されたのなら、二十三区のやり方がむしろお手本になるべきだったのに、現実には逆のことが行われているのですよ。

五年ほど前から、区の姿勢は権力者意識を極端に強めてきています。それまでは労使で話し合って決めいていた職員の配置基準も、ここ数年は一方的に指示されるだけになった。『そんなものは交渉事ではない。管理者であるわれわれが下ろすものだ。君たちは服従していればよい』と発言した課長もいましたね。
---- [ end ] quotation ----

216〜217ページ;軽視される学童保育
---- [start] quotation ----
「はまっ子ふれあいスクール」は、退職した幹部教職員らの受け皿にもなっている。元校長らが大半を占める、その「チーフパートナー」の報酬は月に18万円。これに対して学童の指導員は14万6千円。仕事量や神経の遣い方と反比例する格差も、学童関係者の怒りを買っている。

「母親は家庭にいて、子供を見るべきだ。健全な家庭生活のためには、女性の労働を促す学童保育など必要ない」

公の席でこう言い放った保守系市議もいたと、横浜市の学童保育関係者たちは口を揃えた。事実関係を確認しきれなかったが、この種のバイアスが政策に反映されている可能性は高いと思われる。

なぜなら、横浜市に限らず、日本では戦後一貫して家庭保育重視の観点から抑制的な保育政策を続けてきた歴史があるからだ。学童よりも明確に法的な位置づけを与えられている保育所でも、80年代の行政改革の過程で国庫負担率が大幅に削減された経緯がある(増山均「『子どもの権利条約』と児童福祉」『子ども世界と福祉』[改訂版]14ページ)。そのような考え方が地方政治のレベルに残っていても、決して不自然ではない。
---- [ end ] quotation ----

218ページ(一部省略);軽視される学童保育
---- [start] quotation ----
リストラ旋風が吹き荒れ、男性サラリーマンの身分が不安定になってきた。今後はフェミニズムとはまったく別の次元で、好むと好まざるとにかかわらず、主婦が働かなければ生活していけない家庭が増加の一途をたどるのだろう。

学童保育だけが取り残され、子供たちの行き場が奪われていく。
---- [ end ] quotation ----

なんか悲惨なことばかりのように思えてくるんだけど、子供を持つ家庭って大変なんだろうな

俺は独身生活を満喫してやる手(チョキ)

俺は一人が楽しくて仕方なくなってしまっているぴかぴか(新しい)

昔は一人が淋しいと思ってばかりいたのに

こう思えてしまうのは、ただ俺が歳を取っただけだろうか?


225〜226ページ(一部省略);プロ格闘家を生んだ健康学園
---- [start] quotation ----
南伊豆健康学園からは、プロ格闘家の成瀬昌義選手(27歳)も巣立っている。前田日明率いる「リングス」の所属。

「僕が今日あるのは、健康学園のお陰なんです。四年生の時に一年間、お世話になりました。(省略)みんなより上達も遅かったけれど、僕の運動神経はあそこで開発されたんです」

初公開の秘話である。
---- [ end ] quotation ----

「成瀬昌義」ではなく「成瀬昌由」が正しいようだ。

「南伊豆健康学園 成瀬昌由」でぐぐれ
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%8D%97%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%AD%A6%E5%9C%92+%E6%88%90%E7%80%AC%E6%98%8C%E7%94%B1

成瀬昌由 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%80%AC%E6%98%8C%E7%94%B1



230ページ;「生きる力」の嘘
---- [start] quotation ----
健康学園の教育をどこにでも適用せよということではない。館山を去った後、大田区や三宅島、そして八王子と、多様な地域で教職を務めてきた前田さんは百も承知している。

ただ、“生きる力”を唱えるなら、現代の教育が失ってしまったものをたくさん残している健康学園やそこの子供たち一人一人の人生が、こうまで軽んじられてよいはずがない。行政は今こそ健康学園に学ぶべきだと、彼は力説した。
---- [ end ] quotation ----

231〜232ページ(一部省略);「生きる力」の嘘
---- [start] quotation ----
竹岡健康学園の園長は、99年4月以来、豊島区立仰高小学校の山形紘校長が兼任している。副園長に任せきりの兼任園長が珍しくない中で、彼は違っていた。

「私は教員生活の最初の数年間を、聾学校で過ごした経験があります。人間とは何なのか、嫌というほど考えさせられる毎日でした。そんな時に交通事故に遭い、一般の学校に転勤になったのですが、私は今でも、聾学校時代の視点で物事を考えるのです。

だから、竹岡も守りたい。ぬるま湯に陥らないように、教職員にも無理を強いていますが、潰す口実は絶対に与えない気構えで働いています」

筆者も竹岡の出身である。まだ養護学園を名乗っていた67年、小学三年生だった。三十四年を経た現在も、時々、学園の歌を無意識に口ずさんでいる自分に気づくことがある。

 ♪海の風 山の風
  そら 朝だ はねおきろ……

偏食でカゼばかりひいていた私は、竹岡で丈夫になったのだ。成瀬選手のようにはなれなかったけれど、今も体力に任せ、徹夜でこの原稿を書いている。
---- [ end ] quotation ----

地下鉄車内で読書中、涙を拭うことになってしまった涙

少子化の日本

どんな未来がやってくるのだろうか?
0 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する