『ママさんバレーでつかまえて』はタイトルの通り、ママさんバレーのクラブの控え室が舞台のコメディです。いまどき珍しい公開録画のドラマでもあります。
いまではそういう番組がすっかり少なくなりましたが、かつてはドリフなどステージでの上演をそのまま放送する番組がけっこうありました。ほとんどなくなったのはいろいろ事情もあるでしょうが、不慮の事態に対応しきれないという理由もあったのではと思います。
一度、ドリフで会場が停電になってしまい、子どもが舞台に上がって大騒ぎして収拾がつかなくなってたことなんてありました。あれ、結局どうなったか憶えていないのですけれど。
そのあたり、あえて公開録画を復活させることでなにを狙っているのか、ドラマにいかなる新しい価値が付加されるのか、そんなことも気にしながら見ていました。
結果として、脚本も練れていて俳優の演技もいいので、ふつうにおもしろいコメディになってしまっています。それはそれでけっこうなことなのですけど、別に公開録画にする意味はないのではないかと。
カメラは舞台全体を見渡す位置に固定されているわけではなくて、おそらく3つぐらいあって順次に切り換えてけっこう動きのある画面を作っています。
特に最終回は生放送なので、事前に打ち合わせているのでしょうけれど、俳優の立ち位置にあわせてカメラも動き、調整室もどんどんリアルタイムでスイッチングしていくという状況でして、すごいなあと思いはするのですけれど、それこそふつうにカット割りして撮影すればそんなに大変な思いはしなくてもいいのにという気がするわけです。
そこそこよくできた一幕ものコメディなんだけど、それを実現するためにやたら膨大なコストと労力をかけているというか。
俳優陣は、黒木瞳・横山めぐみ・佐藤仁美・加藤夏希・向井理・小倉一郎・京田尚子・片桐はいり・五大路子。舞台での経験が豊富で不測の事態にも対処できるベテランをメインに据えつつ、若手ながら演技に定評のある面子が起用されていると思います。
考えてみれば、公開録画に耐えられるキャスティングという時点でそれなりに芝居のできる役者が出てくるわけでして、台詞を一つ口にするごとに見ているこっちが緊張するという事態はないわけです。何度も稽古して、通しでリハーサルをやってもいるでしょう。拘束時間が増えると当然にギャラも上がるわけでして、見えにくいところにお金がかかってくるということだと思います。
逆に、台詞すらおぼつかないような素人でもワンカットだけなら、なんとか撮れるということもあるでしょう。そうやって撮ったシーンをつなげていけばいづれは放送時間を埋めることもできます。
公開録画がなぜなくなっていったのかを考えると、芝居のできない人間もなんとか登場させつついかに安くドラマを作成するのか、そのための技術を洗練させてきたドラマ制作の飽くなき努力の歴史をたどることができます。実際には、撮影機材の小型軽量化によるロケの多用が同時進行していたり、いろいろ事情は複雑でしょうが。
「昔のドラマはおもしろかったが、最近はどれもつまらない」
「昔の俳優の演技はすごかったが、今はろくに台詞もしゃべれない」
「とにかく昔はよかったが今はダメ」
巷によくある言説でして、油断していると自分でも口にしてしまいがちなフレーズですが、基本的にどれも年寄りのくり言でして取り合う必要はありません。
しかしまあ、いくらクイズ番組で人気になったとはいえ、そのタレントをドラマでも見たいとはあまり思わない人間からすると、現在のキャスティングはもうちょっとどうにかならんかなあという気はします。
というわけで、『ママさんバレーでつかまえて』を見終わって思ったことは、むしろ、他のドラマのことばかりでした。特に民放。とにかくチャンネルを変えさせないためにどんどんテンションを上げて、謎や伏線をちりばめるけれど、最後にばっくれて終了とか、視聴率をとるためのノウハウだけが肥大化していて、ちょっとどうにもならない袋小路にはまっている印象があります。
細切れにしたカットを積みあげていく撮影では、むしろ瞬発力のあるアドリブに近い演技が必要とされるはずでして、そういう意味ではバラエティやトーク番組と求められるものが重なってきているのかもしれません。
それから、ワンテイクの公開録画は俳優の集中力が高まるというか、感情が途切れなくて演技が自然になるとかあるかもしれませんが、どっちにしろ素人にはわかりませんねえ。
あと、小倉一郎は30年前からちっとも変わっていないと思います。不老長寿の妙薬というのは、道端の草をてんぷらにして食べることだったのでしょうか。なんとなく釈然としません。
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