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2010年01月01日16:59

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岐阜羽島の大野伴睦

 あけましておめでとうございます。

 年末年始は実家に帰省しているわけですが、途中、岐阜羽島に立ち寄りました。
 名古屋からこだまで一駅、12分。
 駅前に降り立つとご存じ大野伴睦夫妻の銅像がお出迎え。

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 立憲政友会の院外団出身といいますから、生粋の党人政治家です。
 この人と岸信介・佐藤栄作兄弟の罵り合いなんか、ほとんど女子中学生レベルで笑えます。政策とかへったくれもなくて、単純に人間としてそりが合わないとか、そんな感じ。
 銅像の近くにできたばかりの友愛の時計というのがあって、なんだかずっこけるのですが、後に吉田派に転じたとはいえ元来が鳩山一郎の側近だった人なので、そういうつながりなのかもしれません。

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 それから、円空生誕の地だそうです。これはちょっとすごいかも。
 一刀彫の仏像で有名なお坊さんですが、たしかNHKでドラマ化された時には丹波哲郎が演じていたと思います。

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 しかし、岐阜羽島駅には他になにもありません。
 まがりなりにも新幹線停車駅ですから、そこそこ周辺で時間がつぶせると踏んでいたのですが、とんでもない思い違いでした。銅像の他にはホテルが2つといくつかの工場や倉庫、後は駐車場が広がるばかり。デパートやスーパーとはいわないまでも、それなりの商店街ぐらいあってもよさそうなものですが、そもそも商店からしてありません。
 なんせ、1時間に上下それぞれ2本ずつしか停車しないので、過密スケジュールで運用されている東海道新幹線はガンガン駅を素通りしていきます。この手の停車本数が少ない駅はそれほど露骨ではないにせよF1のピットインみたいな構造になっていて、止まる列車は脇道にそれてホームに横づけするけど、基本的にそういうものは関知せずにすっ飛ばしますがなにか?というスタンスがとられています。
 街中の高架の下ではそれほど速度を出しませんが、ここでは遠慮もなく全速力で飛ばしますから、実によく通過される駅という印象です。いっそ、駅なんかなかった方が心穏やかでいられたのではないかと思えるほどです。
 ホームのキヨスクは昨年の10月いっぱいで営業を停止したそうですが、むしろ、それまで営業していたことの方が驚きといえます。でも、駅のレストラン『いこい』は定食屋・居酒屋としてもなかなかリーズナブルでしてモーニングやランチなどメニューもけっこう充実。都心のぼったくり価格に馴らされた身には切なくなる価格設定です。

「岐阜羽島駅は大野伴睦が票のため地元へ強引に誘致した」
 けっこう広く流布されている説でして、私も昨日までそう思っていたのですが、実はこれ誤解だそうです。
 鈴鹿山脈を横断するルートは20キロもトンネルを掘る必要があったとのことで、そりゃ東京オリンピックには間に合いませんがな。
 地元が路線を迂回させて岐阜に通そうとしたのを、大野伴睦は抑えて既定の線路の上の羽島に収めさせたそうです。
 というわけで、この件ではむしろ地元エゴを是正する役割を果たしたわけですが、それが評価されるどころか、逆に汚名を着せられています。そこらへんはまあ、日頃の行いという部分もあるし、いつもはきちんと地元に利益誘導しているから、こういう場合に押さえがきくという側面もあるので、あまり同情できません。
 一説によると、この調整に際して駅前に自分の銅像を建てさせたとも言われてまして、なんでそんな余計なことをさせるかなと思います。あの銅像がごり押しで駅をつっこんだ証拠みたいに言われているわけですから、そこらへんをひっくるめると自業自得みたいなものでしょう。
 いずれにせよ駅が作られたこと自体が地元エゴではないかという考え方もあるかもしれませんが、悪天候時などの車両の退避のためにある区間に一定数の駅が必要なのは事実だそうです。他にもそういう駅はいくつかあるとのことでして、私には厳密な判断はつきませんが、この駅の存在そのものがとにかく理不尽ということでもないようです。

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 駅のホームから降りるエスカレーターの目の前にあるパネルが大変なことになってまして、「創始者 田中美穂 銅像建立への旅立ち」の横断幕があって、飛行機の機体には商品名のクロスタニンとドナリエラが大書されています。ちなみに、美穂の読みは「としほ」で男性だそうです。ソ連崩壊の時にレーニンとスターリンの銅像がどかすか倒されてまして、銅像だけは建てるもんじゃないと思うのですが、身近にモデルがあると人間はそっちの方を追求してしまうのでしょうか。この会社の工場だか倉庫は駅前から見えます。

 岐阜羽島駅には新幹線の線路しか通っていないのですが、名鉄の新羽島駅が隣接しています。暇を持て余して仕方がないので、とりあえず乗ってみました。これが単線で住宅地の民家の軒先をどんどん走っていきます。いけどもいけども住宅地でして、実に人口密集地帯だと思いました。でも、降りて時間をつぶせるところはなさそうでした。ターミナルの笠松に到着した後、「この電車はここから岐阜まで停車しません」の案内になんとなくびびって引き返したのですが、3駅ぐらいだったので、別に行っても新幹線の時間には間に合ったと思います。でも、どちらにしろ見てまわる時間はなかったでしょう。

 まあなんだか右往左往した年末でしたが、2010年は大野伴睦にあやかって充実した年にしたいと思います。
 最後になりましたが、本年もよろしくお願いします。

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