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ベルリンに
ホテル・アドロン Hotel Adlon
という老舗高級ホテルがある。2002年に、マイケル・ジャクソンが生後まもない 「プリンス・マイケル」 を窓から宙づりにして物議を醸したホテルである。
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このホテル・アドロンと、『バグダッド・カフェ』 の監督 パーシー・アドロンは Adlon つながりだけれども、ずっと、
単なる、偶然の一致
だと思っていた。しかし、
ドイツでは Adlon は稀姓にはいる
らしい。とりあえず、管見の範囲では、どんな姓の辞典、固有名詞の辞典にも出ていない。創業者はフランスとのプロシアの係争地だったマインツの出身で、
自分はフランス系である
と言っていたらしい。ただ、adl- という語根は adal- 「高貴な」 に由来する確率が高いように思う。ハイジの 「アーデルハイド」 のアーデルと同じものである。-on はフランス語の指小辞かもしれない。とすると、
フランス語化したフランク人
かもしれない。「高貴な者の息子」 だろうか。ただ、フランスの姓でも、ドイツ語の姓でも、一般的ではない。
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一般的ではないことからわかるように、
パーシー・アドロンは、ホテル・アドロンの創業者の末裔
だった。「タカハシさん、タカハシさん、って、あのタカハシさんでしたか」 みたいな、世界が 1/4 だけ回転するような目眩がする。
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ホテル・アドロンは、森鷗外が言うところの、
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菩提樹下 (ぼだいじゅか) と譯 (訳) するときは、幽靜 (ゆうせい) なる境 (さかい) なるべく思はるれど、この大道 (だいどう) 髮の如きウンテル、デン、リンデンに來 (来) て兩邊 (両辺 りょうへん) なる石だゝみの人道を行く隊々 (くみぐみ) の士女 (しじょ) を見よ。
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という、“Unter den Linden” というベルリンの繁華な目抜き通りに面している。
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森鷗外が遊んだ時代は、実際、随一の繁華街であった。上の文章は、学校で “読まされた” ころは難しいと思ったが、今、読み返してみると、
鷗外が、読む者をニヤッとさせようと洒落ていること
に気づく。「ウンター・デン・リンデン」 というのは、ドイツ語で、
菩提樹 (複数) の下の通り
という意味だが、これと釈迦とを掛けているわけだ。そのあとの、
大道髪のごとき
とは不思議な表現である。『日本国語大辞典』 は、これに類する表現を見出しとしていない。つまり、『日国』 でも、意味の調べはつかない、ということだ。
髪のごとき
というのは、「ひと筋、まっすぐ伸びていること」 を指すらしい。今のように、髪の毛を縮らせたり、カールさせたりする時代では、にわかに感得しがたい。むしろ、「快刀乱麻」 的なモジャモジャの形容に感じる。
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一体、こりゃどっから出たんだ、と思うに、中国、唐代の詩人、儲光羲 (ちょこうぎ) という人の詩に、
大道直如髪
という一行があるらしい。読み下すと、
大道 直きこと髪の如く (だいどう、なおきことかみのごとく)
である。鷗外は、「直きこと」 を省いているので意味が不明になっている。鷗外が漢文に通じていたであろうことは確かだと思うが、「直きこと」 が抜けているところを見ると、あんがい、『東海道中膝栗毛』 からの引用かもしれない、ということも発見した。
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げにや大道は髪のごとしと、毛すじ程も、ゆるがぬ御代のためしには
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「初編」 の一句である。十返舎一九は漢詩を引用し、「直きこと」 を省いちゃった。たぶん、同時代のある程度の教養人は、漢詩のアレだ、とわかったのだろう。
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そういうことがわかると、鷗外のあの一文の裏に、「ニン!」 と北叟笑んでピースする文豪のオチャメな顔が浮かぶ。
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パーシー・アドロンが、ホテル・アドロンの創業者の一族とは言え、今は、ナンの関わり合いもないようだ。そもそも、
ウンター・デン・リンデンが繁栄したのは第二次大戦まで
だった。不幸なのは、戦後、あのすばらしい界隈が、ソ連軍の管轄下に入ったことだった。やがて、東ドイツ、東ベルリン地区は、西に経済的に遅れをとり、移住者が続出する。それを防ぐために、
ベルリンの壁
が建設されたのだった。
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壁の向こうの 「経済と文化の砂漠」 に取り残された “高級ホテル” アドロンは、1970年代に学生の宿舎に改装され、1980年代に取り壊された。
旧共産圏諸国の古い建築物に対する敬意の欠如
には、怒りさえ感じる。ソ連でも、現在なら、世界遺産になるような教会を、つい、数十年前に爆破・解体したりしていた。
東ドイツ政府も1980年代に、
20世紀初頭に建てられた豪奢な
ホテルを無用の長物として葬った
わけだ。
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マイケル・ジャクソンとともに映っていたホテル・アドロンは、東ドイツが消滅したのちに、再建されたものである。必ずしも、オリジナルどおりではない。西ドイツのホテル経営会社 ケンピンスキが経営を引き受けたために、現在の名称は、
Hotel Adlon Kempinski 「ホテル・アドロン・ケンピンスキ」
という。
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ふと、思ったのだが、パーシー・アドロンが、ホテル・アドロンの前を通ることもあるはずだ。彼は、あのホテルを見上げながら、何を思うのだろうか……
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