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2009年10月19日21:50

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シルク博物館

 山下公園そばのシルク博物館に行ってきました。汁粉じゃないよ、シルクだよ、ガハハハ。なんつて。

 ちょっと早くに着いたので、中くらいのゴキブリが悠々と壁を這ってたり、小さいやつががちまちまテーブルの上を歩く中華料理屋でラーメンとチャーハンのセットを食べました。ラーメンもチャーハンもまずかったです。ゴキブリは論外としても、食事においてアングロサクソンの流儀を信奉するならば、あのラーメンとチャーハンを許容しなければならないのでしょう。先行きの険しさに気が遠くなりそうでした。

 そんなこんなでシルク博物館の『古渡り更紗と名物着裂展』を見ました。午後2時から講演があったのですが、予定されていた担当の方が心臓に動脈瘤がみつかって手術中だとかで(おいおい)、息子さんが代わりに務めてらっしゃいました。
 ちなみに、更紗(さらさ)というのはウィキペディアの記述をパクると「インド起源の木綿地の文様染め製品」だそうです。エキゾチックな文様とくすんだ色使いが魅力でしょうか。同時代の人間は鮮やかな染色に目を奪われたのでしょうが、色の鮮烈さなら現代の技術のほうが圧倒的なわけでして、そこの基準はちょっと変わっているかなと思います。

 展示されているのは日本における一大コレクションでありまして、「雲母更紗などはこの後、もう実物をご覧になられる機会はないでしょう」と言われて会場はどよめいてましたが、そもそも堅気の生活をしていれば更紗自体そんなに見る機会はないわけでして、なんだかわかったようなわからないような話ではあります。

 先述の通り、更紗といえば基本的に綿布なのですが、着物に仕立てることはあまりないようです。展示もほとんどが布のままか、仕覆や煙草入れにしてあるものばかりでした。
 仕覆(しふく)というのは、茶入れを包む袋のことですが、この仕覆という言葉も少し俎上にのぼっていました。なんとなく昔から使われている由緒ありげな言葉でして私もそう思っていたのですが、大正時代のとある本にいきなりこの言葉が誕生してから、あっという間に広まって使われるようになったそうです。それまでは茶碗を包むの茶入れを包むのも、どれも同じく袋といっていたといいます。ごく最近になってそれがわかったので、以前のように袋と呼ぶことに戻そうとする動きもあるとのことでした。
 もっとも、個人的に戻すのはどうかなあと思います。こういう場合、ある時に言葉が突然ぽんと生まれながら、きわめて短時間で流通することになったという現象自体が重要です。それはつまり、こうした言葉が潜在的に必要とされており、そこにぴったりとはまったからこそ、圧倒的に支持され受け入れられたわけです。茶碗の袋というのは手前に関係しませんが、仕覆は客の前に置いてそこから茶入れを取り出して、終わった後は茶入れや茶杓といっしょに拝見にまわします。扱いが面倒くさくて、当時はどうしたものかと思ったものですが、明らかに茶碗や他の道具の袋とは別に扱われるものですから、そこに別の言葉をあてはめるのは、それはそれで自然なことではないでしょうか。
 もっとも、ネット上のテキストを見ると、茶碗などの袋も仕覆としているところがあったりして、いまさら袋に戻りようもなさそうではあります。

 茶入れと仕覆の関係についていえば、実は一般的に仕覆の方が値段が高いそうです。別に値段が高いからエラいというものでもないと思うのですが、更紗のコレクターとしてはそうであるにも関わらずときに仕覆が茶入れの付属物として扱われることが残念らしく、「益田鈍翁や松永耳庵が仕覆のことを付属品といいますかねえ」と話されてました。
 ちなみに益田鈍翁と松永耳庵は著名な茶人でありながら、同時に実業家でもあった人たちです。益田鈍翁は本名が孝。ウィキペディアによると世界初の総合商社である三井物産を設立し(世界初もなにも総合商社は日本にしかありませんが)、後に日本経済新聞となる中外物価新報を創刊した人だそうです。まあ、明治以後の茶の湯の話題になるとだいたい名前が出てくる人です。政治や経済の話の場合でもちょくちょく名前が出てきます。この時分に関するものを読むなら、憶えておいて損はない名前だと思います。
 松永耳庵は本名が安左エ門。茶の湯の世界では鈍翁ほど知られてはいませんが、実業界では電気一筋に打ちこんで「電力の鬼」と呼ばれた人物です。戦後、電力が民営化されるにあたって一社による独占体制に決まりかけていたにもかかわらず、GHQに直談判して九社に分割した上、料金を抑えるための分割といいながら分割後は値上げを強行して世の批判を浴びまくりました。しかし、そうやって整備した潤沢な電力が後の日本の経済復興を支えることになります。新興国というのはだいたいどこも経済発展の途上で電力不足に悩まされます。電力ばかりはどうしても施設の増設が必要で急に供給を増やすわけにはいかないので、ボトルネックになりがちなわけです。数年前は中国、さらにその前はNIES諸国の慢性的な電力不足の記事をよく見ました。日本も昔はけっこう停電したそうですが、安左エ門が世論を敵にまわしても電力供給を進めていなければ、戦後の経済はもっと早い段階で足踏みしていたことでしょう。

 その安左エ門が後ろ盾となり、のちに児玉誉士夫と並び称されるほどの黒幕になったのが田中清玄です。戦前は武装共産党の幹部として名を馳せ、治安維持法で検挙されて11年にわたる獄中生活を送るもその間に転向し、戦後は熱狂的な反共主義者として活動しました。戦後まもなくの頃、合法化された共産党に指導された電力会社の組合員が山間部の発電所に立て籠もる事件があり、当時の弱体な警察ではこれに対処できなかったので、そこに投入されたのが田中清玄率いる電源防衛隊です。荒くれ者を集め、ピケ破りやスト潰しに縦横無尽の働きをしたと伝えられています。
 どうでもいいですけど、電源防衛隊ってNで区切られたDとGとBの音に勢いがあってリズミカルで、アニメとかマンガに出てきそうだなあと思います。武装親衛隊とか鉄血勤皇隊なみに語感のいい言葉ではないでしょうか。まあ、鉄血勤皇隊はアレなんで、アレですけど。
 田中清玄と電源防衛隊。武田鉄矢と海援隊、みたいな。

 もう戻す気力も起きないほど話がそれてますが、というかどこに戻ればいいのかすら判然としませんが、そうはいっても仕覆なしで茶を点てることはできるにせよ、茶入れがないと相当につらいので、副次的な扱いになるのは仕方がないんじゃないかと思います。
 『古渡り更紗と名物着裂展』は11月8日まで開催されています。入場料は700円ですが、ひたすら更紗だけ眺めて700円分も堪能できる人は少ないと思います。24日と31日の午後2時からもそれぞれ別テーマで講演があるらしいので、できればそれにあわせて行かれるのがよろしいでしょう。席は十分に余裕がありました。せっかく行ったのに立ち見で足が疲れたとか、満員御礼完売劇場で締め出されたとか、そんなことはなさそうです。

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