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2009年10月08日08:23

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なんでも鑑定団がやってきた! ヤァ!ヤァ!ヤァ!

 区の図書館に行ったら、掲示板に『なんでも鑑定団』のお宝と観覧者募集のポスターが貼ってありました。
 5月末の古い画像なので、収録は7月3日とかになってまして、放送ももう終わっていると思います。
 まあでも、『なんでも鑑定団』の威光はなかなかのものです。

 この番組は実家に帰った時ぐらいしか見ないのですが、あらためて考えてみると、美術品に値段をつけるというのはなんとなく胡散くさい行為です。
 基本的に美術品の値段というのは一物一価、しかも、売り手と買い手の間にしか成立しないと思います。
 しかし、「お値段はあなた次第。額が折り合えば売りましょう。さて、いくらなら買いますか?」と言われても、客はとまどうばかりです。そこは押し出しのいいかっこうをして、「二世歌川豊国の役者絵。いい仕事してます。三千万!」とか言わないと商売として成立しないのだと思います。それは結局、「なんだかんだいっても、おまえら値札がついてないと物の価値なんてわからないんだろ?」と言われているのと一緒なのですが、別にとりたてて異論はないのですから、それでいいのだと思います。

 しかしながら、ごく一握りの人間が主導しているとはいえ、美術品にそれなりの市場価格というものが存在し、多くの人が受け入れているということは、それがかならずしも嗜好だけで売買されているのではない可能性を示唆しています。本当に美術品が好きで、それを身近に置いておくためにかなり額の使える人間というのは、ごく稀にしかいないと思います。別に好きではなくて、それどころか興味もないのに買う人間がいるからこそ、市場が形成されるのではないでしょうか。

 バブルの頃は土地の供給が飽和して、美術品にまでお金が流れるようになってから見事に破裂し、なんだかざまあみろと思いました。しかし、経済が過熱していなくても美術品の市場というのは存在しているわけで、投資というか投機によってのみ成立しているわけでもありません。

 それなりの美術品を所有しているということは、他にも資産があるし、裕福な家庭に育って高度な教育を受け、有力なソサエティのバックアップを受けている可能性が高いといえます。ですから、事業のパートナーや商売の相手としてそういう人間を優先的に選択すというのは、合理的な判断ではあります。
 そこから派生して、自分がかかる階層の人間であると思わせるために、美術品を購入する人もいるのでしょうが、なんだかここからさらに考えるのは億劫になったので、今日はこれでおしまいです。

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