mixiユーザー(id:809122)

2009年09月14日12:46

10 view

マンガの絵本化

村上たかしの『星守る犬』を読んだ。
http://webaction.jp/title/104.php

不覚にも、泣けてしまった。
犬の話には弱いのだ。谷口ジローの『犬を飼う』にもやられてしまった過去がある。
バンサンの『アンジュール』とか菊池まりこの『いつでも会える』などの絵本との類型を感じはするが、それでも泣けるものは泣ける。
さらに中年男が主人公だと身につまされる。オヤジ版『フランダースの犬』と言っていいかもしれない。


この手の短い「泣けるマンガ」というのが、近頃一ジャンルとして確立しつつあるように思う。
こうの史代『夕凪の街 桜の国』とか西原理恵子『うつくしいのはら』とか業田良家『自虐の詩』とか。

これはマンガの絵本化なのではないかと思う。


これまで週刊誌で連載される形の作品がマンガの内実を決定してきた。
長期に読者をひきつけるべくキャラクターたてに重点が置かれ、アクション中心でストーリーは冗長、その場しのぎの派手な展開を繰り返ししりすぼみのラストで終わるのが大方のマンガのスタイルだった。
連載ありきで作られているので、読者の反応や評判に対するフレキシビリティが求められ、作品としての整合性は二の次となってしまうのだ。
その制作スタイルは視聴率偏重のテレビ番組作りのそれに近い。
かつての楳図かずおや諸星大二郎のように作品を完成させてから連載するというような制作方法は、発表形態からも作者の力量からも不可能となってしまっている。

しかし、短編作品に関してはそうしたくびきからの自由を確保している。書き下ろし小説のように完成させてから発表する形になるからだ。
その代わり発表の場は極端に少ないのだが。


連載マンガと短編マンガはその制作法が全く違う。連載物は設定に重きが置かれるが、短編は物語性に重点が置かれる。
マンガ家の登竜門である新人賞は短編を募集しているのだが、そこで新人は勘違いして「短編マンガ」を描いてしまう。しかし編集側が求めているのは「連載マンガ」の「第一話」であって、短編の完成度などではない。そこをわきまえた新人がマンガ家の門をくぐることができた。
実際短編マンガが成立していたのは70年代までで、つげ義春や辰巳ヨシヒコのような短編の名手は近年輩出していない。
短編マンガは率が悪いので出版側にしたら厄介者でしかないのだ。
いや、なかったのだ。

ところが、近頃その情勢が変化しつつある。連載マンガの利益率が落ちてきているので、短編マンガが逆浮上してきているのだ。それは雑誌の低迷に伴う単行本売り上げの重視による。
これまで雑誌連載で人気を得たマンガが単行本も売れるという構図だったのだが、いまや雑誌やネットなどで評判を聞きつけて直接単行本で読むスタイルが定着してきた。要はその作品の存在を知らせるプロモーション方法となってきたのだ。

連載物は単行本を売る宣伝媒体として雑誌掲載を続けるという方法をとってきた。なので連載が終わるとすぐにも見向きもされなくなる。週刊誌の広告としての作用期間は1週間しかないので、プロモーションとしては効率的とはいえない。その上雑誌離れも加速している。
それがITの浸透による口コミの増大によって、雑誌等のマスメディアだけがプロモーションの場ではなくなりつつある。マンガに連載による新鮮さがそれほど求められなくなり、マスコミニュケーションによる同時代性や話題性より、個人的にさらりと読めて繰り返し楽しめるようなものがミニコミ的に広まっていく傾向にある。
マスメディアに乗せて爆発的にその場だけ売れるものより、じわじわロングテールで売れ続けるものの方がコストパフォーマンスが高い。(コストパフォーマンスであって、売上高は決して高くはないのだが)
そんな情勢が「短い泣けるマンガ」を流行らせているのだろう。

その味わい方や売れ方は絵本に近い。
連載の終了したマンガは、どんなに名作でも再版でもされない限り数十巻もの本を書架に並べる本屋はないが、短編マンガは定番化してずっと陳列される可能性が高い。それがまたさらなる定番化を生む。
それは絵本のコーナーにいつまでも『ぐりとぐら』とか『百万回生きたねこ』が並べられているみたいな感じだ。


そうした絵本化するマンガにおいては、形態だけでなく「作り」さえも変わってくる。それまでの短編はセンセーショナリズムに向かいがちだったが、反芻して味わうものとしての安定性が求められるのだ。「泣ける」という主題はそうした方向にうってつけだ。

それまでの短編の主流だったギャグマンガやミステリーものは意外性を基調にしている。先の読めないワクワク感で読者をひっぱり、ラストでカタルシスを与える作劇法となるのだが、絵本スタイルはむしろ予定調和の世界だ。
『火垂るの墓』と同じように『星守る犬』が最初に結末を描いてから始まっているのはその表れと言えるだろう。物語は循環し何度も読者を引っ張り込むことを目論んでいる。
意外性が乏しくゆっくりした展開で淡々と描くのがオーソドックスな絵本のスタイルと言えるが、マンガもまたそうしたものに向かいつつあるように思う。

それは「形式」が「内実」を決定していると言える。


ポンチ絵として始まったマンガは最初一枚物の風刺画だったが、ふたコマ四コマと展開を持つようになった後、貸本時代にストーリー性を纏うようになり短編小説化した。
そして雑誌連載でテレビ番組化してメジャーとなったが、今その地位の凋落とともに絵本化しだしたのだ。

これからのマンガ新人賞は「連載マンガ」の「第一話」でなく、「絵本」としてのマンガが求められるようになるかもしれない。
0 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する