mixiユーザー(id:809122)

2009年07月16日14:30

76 view

枕営業

「美人記者」急増の危うさ……“体当たり”取材の功罪
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=900118&media_id=40


確かにニュース番組を見ていて、政治家の脇でレコーダーやマイクを向ける記者に、必ずと言っていいほど若い美人記者が混じっている感じがする。
しかも不思議なことに、それは決まって紅一点で、他に女性記者がいたりすることがない。

つまりそれは、「番記者」として政治家にひっつかせるときに、「男」の論理で会社側が「あてがった」ものとわかる。

「あの政治家の他の社の番記者は男ばかりだから、うちは男好きする女の子を当てよう。」
「あの政治家には既に美人番記者が付いているから、うちが普通の女性記者送っても無駄だから止めとこう。」
そんな言わずもがなの協定が男社会の報道局側にあるから、紅一点の構図が生まれるのだろう。

おそらく彼女らも、容姿に見劣りがするようになったら、静かに降板して後進に道を譲り、自らは采配する側とかに回るのだろう。
そもそも番記者というものがそういう使い捨ての一過性のポジションなのだと言える。
この記事を書いた者も、そういった「歩兵」としての記者の役割を知っているはずだ。
> 使い捨てされるリスク
などと言っているが、ずーっと番記者やらされている方が使い捨てなんじゃないのだろうか。

とにかく彼らは政治家に顔を覚えてもらうことが重要で、そのためには男女を問わず「売り込み」をかけている実態を承知の上にこういった「僻み」を言っているのだろう。


この文章は僻みによる悪意と頑迷な固定観念に満ちているように思う。

まず、ホステスの枕営業を譬えに使う時点で曲解を誘おうとしているとしか思えない。まるで美人記者は政治家と寝るものだと言っているかのような書き方ではないか。
そんなことはまずありえない。それをしたらその記者は「書かれる」側になってしまうではないか。どんなに世間知らずのお姉ちゃんだろうと、そこまで馬鹿じゃないだろうし、社の方でもそこだけは抑えているだろう。
実際、この記事にもそういう事例をあげて、「筆者が週刊誌の記者であれば躊躇なく書く」(つまり記事になる)ほど、むしろ稀有なケースだとしているではないか。

要は美人は「政治家や企業経営者のウケが良く、ネタを引いてくる確率が高い」から使われるのであって、それは男性記者だって同じで、根性があるとか男気があるとか、年配ターゲットが好きそうな「資質」を見せびらかして取り入るのが、記者の手腕ではないか。
そういう「男」を売るのは、「女」を売るのと違いがあるわけではないだろう。


「『枕』のレッテルを張られたが最後、水商売を続ける限り汚名が付いてまわる」
これを記者に置き換えたら
「『枕』のレッテルを張られたが最後、報道を続ける限り汚名が付いてまわる」
とはならない。
そんなレッテルが知れ渡っていれば報道を続けられるはずもないのだから。

自分の魅力を利用して取り入るのがうまいことを指して「枕」と言うなら、
「『枕』のレッテルを張られるということは、報道では『敏腕』の名誉が与えられる」
となるだろう。
渡邉恒雄は番記者として付いた大野伴睦に気に入られ、記者として大成した。
そのナベツネのお友達として、三宅久之は並みいる引退記者コメンテータの中から一頭地を抜くことができた。
彼らは有力者と「添い寝」してきたわけだから、「枕営業」みたいなものではないか。



だいたい「美人が増えている」というのは、女性が女性として男性社会に入ってきた証拠ともいえる。
それまでの女性記者は、男性社会である報道に入るためには女性を捨て男性にならなけらばならなかったのが、異性に対する魅力を保持したまま仕事ができるようになったのだ。

子供や女性相手の取材には、むくつけき中年男より優しげな女性の方が有利だろう。
さらに有力者にも有利だとしたら、男性記者は立つ瀬がない。

そんな時代変化がこの記事のような「男の愚痴」となったような気がする。

>「ネタを引けなくなった記者に会社は極めて冷淡だ。」
かつて記者だったこの著者のこの言葉は、実体験のように感じる。そしてこの裏には
「美人はネタが引けて羨ましい。」と読めて、凋落する男社会がなんだか痛々しくもある。

>「美人記者」急増の危うさ

危ういのは報道における「男社会」の方だろう。

______________________________


 最近、政・財・官の要人を取り囲む大手メディア記者たちの間に、ある異変が起きているのをご存じだろうか。筆者が現役記者だったころと比べ、格段に“美人記者”が増えているのだ。


 政治家や企業トップに密着し、マイクやICレコーダーを突き出す記者団の中に、少なからず美人がいることを読者も目にしているはずだ。

 古巣や同業他社の記者仲間に尋ねると、皆同じような感想を抱いていた。結論から言うと、最近の美人記者急増に筆者は強い懸念を抱いている。「記者として優秀だが、たまたま美人」であればなにも問題はないのだが、「美人が条件で記者になった」といった人種が増えていると感じるからだ。お叱りを覚悟の上で今回は最近の現象を分析する。

●悪名はついて回る

 数年前のこと。漫画界の大ベテラン・X氏と長期間一緒に仕事をさせていただいた。同氏の代表作の多くは、ネオン街で逞(たくま)しく生き抜くホステス、あるいはホストを描いたもの。お手伝いする間、何度か酒席をご一緒させていただき、取材対象であるホステス、ホストの実態をつぶさに観察する機会を得た。同氏のネタ元であるホステス、ホストたちの大半はナンバーワンと呼ばれる売れっ子ばかり。だが不思議なことに、絶世の美女・美男にお目にかかる機会は少なかった。

 X氏によれば、彼らに共通するのは、徹底した顧客への気配りだとか。確かに、サービスのプロとしてのプライドで、客を気持ちよく酔わせる手法は圧巻だった。逆に言えば、美女・美男でないからこそ、懸命に努力してナンバーワンを勝ち取った強者ばかりだった。

 酔いにまかせ、筆者は数人の売れっ子にいじわるな質問を投げかけた。多額のカネを盾に、業務外の仕事、すなわち体の関係を強要するお客がどの程度いるのか、という内容だ。だが、返ってきた答えは、すべてノーだった。「体当たりすれば一時的に売り上げは急増するが、バレたら最後、水商売を続ける限り『枕ホステス(ホスト)』の汚名が付いてまわる」からだという。

 閑話休題。

 ここからは、本題の美人記者である。筆者が現役のころも美人記者はたくさん存在した。ただ、彼女らは記者としての能力が格段に高く、たまたま容姿が美しかっただけ。同じテーマを追いかけ、彼女たちに出し抜かれた回数は数え切れない。だが、今回俎上(そじょう)にのせる美人記者は、「容姿で採用したのか? と思いたくなるほど、キレイな面々が増えている」(大手紙記者)。あるテレビ局関係者によれば、「(美人記者は)政治家や企業経営者のウケが良く、ネタを引いてくる確率が高まっているから」という側面もあるそうだ。

 筆者は耳を疑った。美人を餌(えさ)に、スクープを取るというのである。もちろん、最近の美人連の中にも優秀な記者はたくさんいる。しかし中には、“枕”を武器にしている輩も確実に存在するのだ。

●使い捨てされるリスク

 美人記者の“体当たり”の実状を探るべく、筆者は旧知の某大企業広報担当者に尋ねた。すると、驚愕(きょうがく)すべき話がゴロゴロ出てきた。この大企業も役員、あるいはトップが美人記者の体当たりの取材攻勢に遭い、「トップと役員がペラペラと機密情報をしゃべり、みすみすスクープを許してしまった」との経緯があったそうだ。

 この広報マンには申し訳ないが、筆者の独自ルートで体当たり取材された役員、そしてトップに接触した。双方ともに真っ赤な顔で否定された。だが、本業のネタを否定する際とは明らかに様子が違った。記者としての感覚で言えば、「クロ」であり、筆者が週刊誌の記者であれば躊躇(ちゅうちょ)なく書く。

 筆者は現役の記者時代、キャップからこう言われた。「法を犯すことさえしなければ、何をやっても良い」――。このキャップの教えを最近の体当たり組に当てはめてみると、倫理観を除外すれば問題はない。だが、先の項目で触れたナンバーワンのホステス、ホストたちの言葉を思い出してほしい。「『枕』のレッテルを張られたが最後、水商売を続ける限り汚名が付いてまわる」。水商売の部分を報道業界に置き換えれば、自ずと筆者が言いたいことが分かってくるはずだ。

 すなわち、ホステスやホストの世界と同様、報道業界も噂話があっという間に駆け巡る世界なのだ。現場を離れて2年以上も経過する筆者にさえ、こんな事態がバレてしまうのだから。

 筆者は、特定の個人を糾弾するつもりは毛頭ない。仕入れたネタを写真誌や週刊誌に持ち込む気持ちもさらさらない。だが、本稿を書いている間も、“体当たり”が信条の記者たちが、政府要人や大企業幹部の周辺に張り付いている様子がニュースに映り、新聞の写真に載っている。筆者は複雑な気持ちを抱くと同時に、彼女たちに取材手法を変えるべきだと助言したい。

 容姿優先で取材現場に出された美人記者諸君。くれぐれも不名誉なレッテルを張られないよう心して仕事に臨むべし。ネタを引けなくなった記者に会社は極めて冷淡だ。
0 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する