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2009年07月12日17:36

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Born in the 砂町

俺は現在、俺が生まれた同じ土地に住んでいる。父も母も砂町出身ではない。結婚して、俺が生まれるときに住んでいたのが砂町だった。俺は3歳までここで育った。「三つ子の魂百まで」ではないが、砂町の風景の記憶が俺の中に残っている。特に荒川の記憶は鮮明だ。潮が引いた荒川の干潟を歩いた時、蟹などの小動物が蠢いていたのを覚えている。そして東西線が走っているのを見るのが好きだった。三歳の記憶なので、曖昧だ。寧ろ良い思い出として、現在の俺が脚色している可能性が高いかも知れない。兎に角、俺は砂町で生まれたのだ。

引っ越し先を探している時、漠然と「川のそばに住みたい」との思いがあった。この部屋から風景を見たとき、「あ、俺ここに住みたい」と思ってしまった。駅から遠く、家賃も想定以上の値段だが、ここに決めてしまった。母に引っ越し先を告げた時「大家さんは?」と尋ねられ、答えると「あんた、そこ、あんたの生まれた場所だよ」と言われた。そうなのだ。現在の俺の住まいの大家さんは、当時の父母の住まいの大家さん。俺は自分が生まれた場所へ戻ってきたのである。偶然とは言え、縁があるなと思ってしまう。そんな縁がきっかけで、父母と共に三人で大家さんの住まいを訪ねたことがある。父母と大家さん夫妻は当時を懐かしんでいた。そんな大家さんの旦那様は数年前に他界してしまった。

砂町を歩いていると、子供の頃に夢で見たような風景に出会い、「ああ、あれはここだったのか」と合点がいったことがある。これは何だかとてもほっとする出来事であった。

今日は都議会議員選挙の投票日。今回は有効票を投じた(俺は「さとうひろゆき」と記名した無効票を投じたことが何度もある)。手(チョキ)

東砂スポーツセンター
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砂町銀座を銀ブラ。わーい(嬉しい顔)ダッシュ(走り出す様)
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一人でまったりと海幸で寿司を食う。俺が食っている間、両隣り共に三組入れ替わった。
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とても好印象に残ったのが父母姉弟の四人家族。子供達は小学生だと思う。子供は両親を「お父さん」「お母さん」と呼び、子供が物を取るなど些細な手伝いをすると親が子供に「ありがとう」ときちんと言う。とても温かい素敵な家族だった。「いいなぁ」と思っていると、「並んで待っている人がいるから、早く食べましょう」的なことをお母さんが言っていた。ビール二本で粘っている俺には耳が痛かったが、駐車場の時間を気にしていたのが真相のようだ。車で来てたのか。お父さん、お酒飲めなくて残念じゃないのかな?

他のお客さんにも、寿司を運んできた店員に「ありがとう」と言う人がいた。俺、嬉しくなっちゃった。砂町っていいところだぜ。指でOK

追伸:海幸の寿司は質が落ちたかも。シャリは本当に人が握っているのだろうか?疑いたくなってしまった。

おまけ:進開橋の袂の冴えない紫陽花。
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