mixiユーザー(id:7793076)

2009年04月21日00:43

8 view

流浪の誘惑

友人がでかい仕事をもらい視聴率が悪かったらしく悩みの電話がきた。
偉そうに森嶋論を真面目に語ってやったが、さてさて我が身を振り返ると彼以上に悩まなければならないのは自分自身だ。
先日、友人に老後の人生を脅され生きる希望を失ってしまった。
深夜、思考の深みにハマる。
現在、守るべき大切なものが無い自分の人生は一見弱いようで一方向で考えると非常に強い。
何に縛られる事無く自由に動けるからだ。
前にも述べたが死というものに対して全く恐怖を感じてない。
そう考えると生きる希望を失うというのは何に対して希望を失ったのかと疑問が出る。
うーむ・・・単純に大変な未来が待っているという恐怖なのかな。
なんだ、たいした事ないじゃないか。
現在、構築されている社会において自分の存在は円からはみ出ているのは承知しているが、それは自らが求めてきたからでもある。
社会の『普通』『当たり前』と思われることが、どうしてもその通りに思えず、人間の当たり前とは何かを求めてきた気がする。
社会が人の幸せや安心を求めて創られてきた訳だが、その社会の恩恵の中に組み込まれて生きている自分が文句を言うのは間違えているとも思う。
社会不適応者とは逃げなのか、それとも自分という人間の在り方を問いているのか。
答えは己で決める事なのだろう。
命というものを授かっただけで限りない幸せを受けているのにも関わらず、まだ欲望を抱き続けるのか。
キリが無いな・・・
人生の終焉を迎えるとき、果たして納得できるのか今の自分は?
一度、常識、知識、自分が得た全てを捨てて文明を離れ自然の中で自分という生命体と会話してみたいものである。
0 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する