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2009年01月09日06:18

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人類の行く末

これほどまでに文明が発達して人類は何を目指していくのだろうか。
少なくとも幸せを求めて進んではいない。
己の欲を満たす為に突き進んでいる。
様々な犠牲の元に欲が満たされていく訳だが、それでも満足せず人類の欲望は果てしない。
延々と続きループしていくのだろう。
行き着く先は滅亡だろうか。

現実の日々の生活に我々は麻痺しつつ各自が各環境の中で自己形成されていく。
その環境が「全て」のように思考が統一されていく。
己の視点で見れば当たり前の真実なのだが、客観視すれば真実がそうではなかったと気付かされる。
何が重要であって何が不必要であるか。
自分自身を見つめても分からない事がある。
己の歩んできた人生はたかだか何十年なのだから。
人類が歩んできた道を全て見たとしても決して理解する事は出来ないだろう。
宗教と哲学を極めたとしてもあくまで「そうでなかろうか」と思うだけだ。

生きるための術を人類は得た。
これ以上は欲を求めなくてもいいのではないか?
これだけはハッキリと言える。
全ての欲は滅びの方向へ我々を導く。
必要以上の物を要求しない動植物の方がどれだけ崇高な事か。
自然界はうまい事成り立っている。
人間という不自然な存在がそのバランスを崩している。
そのバランスを立て直そうといつか人類は淘汰されるだろう。
それは人間の生きる価値を知る何かの力によって。
そう考えれば宇宙から見れば人類は地球に共生しているのでなく寄生しているだけの単なるバクテリアと同じだ。
人類の存在価値は尊いものなのだと自らで伝えていかなければ、自分の価値は無いに等しい。
それには病んだ人類の精神改革が必要だ。
現在の「普通」と呼ばれるものは「不自然」な人類が創り出した産物であり、自然とは何かと問いただしてみる必要がある。
この人間という存在の自然体、「本質」というものが、地球に生まれてきてから既にこうなのだというのであれば、知能がある分、なんて残酷な事なのだろうか。
でも知能があるからこそ変えていける事が可能だと思う。
いや、変えるというより抑制するという事か。

現実社会は修行だと聞いた事があるが、そうしなければならない世の中を創り出したのは我々なのだからしょうがないと思えるようになった。
宇宙の寿命からみれば我々の寿命なんてちっぽけなもの。
そのちっぽけな命を輝かしいものにするのは己自身で決められる。

幸せは比べるものでなく自分自身で決めるものだと信じているから。
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