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2026年02月20日19:43

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春岳院と大納言塚、大徳寺と塔頭の大光院 R08 (2026) .02.20

NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」の影響で、今回は秀長に所縁のある大和郡山の春岳院と、京都の大徳寺塔頭の大光院に行って来ました。当然、大徳寺にも立ち寄っています。

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奈良新聞 豊臣秀長の菩提寺「春岳院」本堂改修が完成し一般拝観を再開
https://www.nara-np.co.jp/news/20260116215333.html

「NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公、豊臣秀長の菩提寺として知られる奈良県大和郡山市新中町の春岳院で15日(注 2026.01.15)、本堂修繕工事の完成に伴う拝観再開のお披露目会が開かれた。同市の上田清市長をはじめ、関係者が出席した」
「同寺は昨年2月、ドラマ放送に合わせて訪れる多くの参拝者の安全面を考慮し、老朽化した本堂の修繕工事に着手。費用の一部はクラウドファンディングを活用して募り、本堂正面の扉や天井、床、畳などを全面的に修繕した。今月10日に第1期改修工事が完了し、この日から一般拝観を再開した」

2月2日に郡山城に初めて訪れた時には、春岳院の事は事前に調べて知ってはいたもののそれ程の興味は湧かず、しかし秀長に所縁のある寺院という事では、大徳寺塔頭の大光院と共に訪れなければならないと思い直して行って来ました。元は護摩堂であった本堂が残っているだけのこぢんまりとした境内ですが、気持良く拝観できる様に随所に工夫がなされていて好感が持てました。文化財に指定されてはいないものの見応えのある仏像が所狭しと並べられていて、ボランティアによる案内も充実したものでした。

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春岳院を訪れて初めて知った大納言塚の存在でしたが、バイクを1.5km走らせて立ち寄りました。因みに秀長の戒名は「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」です。

市史3 大納言塚 - 大和郡山市
https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/soshiki/machidukuri_senryaku/rekishi_bunkazai/bunkazai101/s_bunkazai/shiseki/1864.html

「豊臣秀長の墓所。天正19年(1591)、郡山城内で没した秀長はここに葬られました。当初、この近くに豊臣秀吉が建てた大光院<だいこういん>という菩提寺があり、墓地を管理し菩提を弔っていました。しかし、豊臣家が滅んだあと、大光院は京都に移され、秀長の位牌は東光寺(のちの春岳院)に託されました。その後墓地は荒廃しましたが、安永6年(1777)、春岳院の僧、栄隆<えいりゅう>や訓祥<くんしょう>が郡山町中と協力して外回りの土塀をつくり、五輪塔を建立しました。五輪塔は高さ2メートルで、地輪の表面には戒名が刻まれています」

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「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 大徳寺 法堂・経蔵

「千利休はじめ茶人が参禅し、茶の湯文化と縁が深い臨済宗大徳寺派大本山。特別公開される法堂(重文)の迫力ある天井画『雲龍図』は、狩野探幽35歳の時の力作といわれ、手を叩くと龍が鳴いたように響くことから『鳴き龍』とも称される。合わせて公開される経蔵(重文)は寛永13年(1636)に建てられた。内部に3,500巻の経典を収めることのできる八角形の輪蔵があり、これを回転させると収めた経典を全て読み上げたのと同じ功徳を得ることができるという」

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�蕁)�臣秀長の墓と藤堂高虎の墓

「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 大徳寺 大光院

「大徳寺の塔頭寺院で、豊臣秀吉の弟・秀長の菩提寺として奈良・大和郡山に創建され、後に大徳寺山内に移された。客殿には秀長の木像が安置され、内部を飾る水墨の襖絵は、奥州・伊達家伝来の狩野探幽筆『黒雲龍図(こくうんりゅうず)』屏風を襖に仕立て直したものと伝わる。また『蒲庵(ほあん)』は、黒田如水(官兵衛)好みの二畳台目の茶室。現在の茶室は移築されたものだが、もともとこの茶席についた露地に、如水の子・黒田長政と加藤清正、福島正則の三武将が一つずつ石を寄進したということから『三石の席』とも称される」
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