「高級スポーツカー」という位置付け故に、1929年10月に始まった世界大恐慌の影響をモロに被ったベントレー。売上が落ち込んで経営が行き詰まったBentley Motors Ltd.は、1931年にRolls-Royce Ltd.に買収されました。
ロールス-ロイスの下でクサッていた創業者Walter Owen Bentley(ウォルター・オーウェン・ベントレー)でしたが、ラゴンダにヘッドハンティングされる1935年までは何とかスポーツカー路線を維持していました(1935年以降のベントレーはロールス-ロイスのバッジエンジニアリングになってしまいます)。「ベントレー・ボーイズ」と呼ばれた裕福なイギリス人ドライバー連も、ベントレーでレースに出場し続けてこのブランドを盛り上げました。そのひとつが1932年9月24日に行なわれたBRDC(本稿0448)主宰のブルックランズ500マイル・レースです。
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ベントレー・ボーイズのひとり、Clive Danfee(クライヴ・ダンフィー)駆るベントレー・スピードシックス(ゼッケン41)が、ブルックランズのバンク最上段を200km/h以上の猛スピードで駆け抜け、小排気量の数々のクルマを追い抜いきます。そして映像の最後に…
エントリー34台のうち完走できたのは11台だけ、という過酷なこのレースはハンディキャップ制で、小排気量のクルマからスタートし、遅れて発進した大排気量の速いクルマが差を詰めていきます(だから映像のような追い抜きシーンが頻繁に見られるのです)。つまり、クラスに関係なく最初に500マイル(約805km)走破してチェッカーを受けたマシンが勝者となるワケです。
スタートラインについた出場車の中で、最小の750ccクラスのMGとオースティンから、ライレー〜サルムソン〜アミルカー〜タルボ〜アルファロメオ〜マセラティ〜ブガッティが順次出走し、最後はゼッケン41を付けた最大排気量(7963cc)のベントレーがスタートラインを後にしました。
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Colonel Vickers Dunfee(ヴィッカース・ダンフィー大佐)の4人息子の3番目のクライヴは、このレースで兄のJack(ジャック)と組んでいました。ジャックが第一走者を務め、バンクの最上段を猛スピードで駆け抜けて小排気量のクルマをどんどん抜いていきます。
https://www.picclickimg.com/DKMAAOSw~~tlbBa9/Jack-Dunfee-Clive-Dunfee-Bentley-8-1932-Motor.webp
そして順当に4位まで上がってきた時にピットイン、クライヴに交代しました。
その直後、Earl Howe(ハウ伯爵、本稿501)のブガッティT51(ゼッケン37)を追い越そうとした際に、クライヴはバンクを高く上りすぎて、右ホイールがリップを乗り越えてしまいました。ベントレーは横転し、大木に激突し木々の間を突き抜けて下のコースに転落ました。クライヴは車外に投げ出され、即死しました。
1930年に結婚した人気女優のJane Baxter(ジェーン・バクスター)が見守るすぐ前だったということです。
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