サラ・ウェストーバー著『エデュケーション』を読んだ。
電子書籍で、ながらく積読にしていた。
履歴をみると、買ったのは2023年7月となっている。
文庫価格より、さらに半額で買ったことが表示されている。
俺あるあるで、kindleのセールで安くなってるものだから、読む気もないのに、ポチったのだろう。
評判になっているみたいだし、読んだ方がいい気がするから、って。
そういう本が、俺の場合オニノようにある。
7月は早川書房が、電子書籍のセールをする時期だし。
だいじょうぶかハヤカワ、という気もするが、電子書籍は本来、紙の本の三分の一の価格でできるという話も岡田斗司夫がしてたっけ。なんでレギュラーでそれをしないか、というと、それをしちゃうと紙の本が倍以上の価格になってしまうから、だとか。
紙の本は紙の本で、俺は大事にしたいんだけどね。
で、本書。
買ったものの、なかなか読む気にならなかった。
独特な考え方の両親のもと、教育を受けずにきた女性の自叙伝。
オバマとか、名だたる著名人が愛読書としてあげた、というねぇ。
逆境を乗り越えて成功していったというお話は、ちょっと敷居が高いと感じるところ。
たまたま先日読んだ『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』で、紹介されていてさ。あ、この本そういえば持っていたよなぁ、と開く気になった。
そのときも、読み通せる自信はなかったんだけどね。
ただ、読んでみて印象はがらりと変わった。
モルモン教徒原理主義者、という表現もあったけど、むしろ病気だろうと思えるような、極端な思想をもつ父のもと、展開されるのは狂気じみた生活だ。
当初、及び腰な雰囲気も感じた母親も、いっしょに、なのか、もとからだったのか、おかしくなっていく。
政府は自分たちを監視している。
病院は、おかしな薬品を自分たちに注入する。
学校は、洗脳する機関だ、などなど。
そんな両親、特に父親のもと、学校へ通うこともできず、交通事故や仕事中の事故で、生死をさまようような場面にあっても、病院に行くこともできない。
当初、父親がすがっていたのは、Y2K問題だったかなぁ。
パソコンは2進法なので、1999年から2000年に変わった時、全世界のパソコンがストップし、大混乱が起きる。
俺が大学を出たあたりで、まさにそれは話題になっている話でさ。
大学の友だちが、就職してSEになったと聞き、
「どんな仕事してるの?」
と聞くと、
「2000年問題って、話題になってるでしょ。いまやってるのは、まさにあれだよ」
なんて話をしていたのを思い出したくらい。
そのあたりを読んで、この話が同時代のことであり、著者は俺よりも少し若いくらいなのだ、と気づく。
世界が混乱しても生き抜けるよう、生活を切り詰め、ひたすら資材をため込み、ガソリンを地下のタンクに貯蔵する両親夫婦。
もはや、2000年になったら世界が混乱するのを待ち望んでいるかのようにみえる。
それだけに、2000年になっても、そのまま世界が続くさまに消沈する父親の姿は、ちょっと切なくすらある。
ただねぇ。
実際のところ、政府、病院、教育機関を攻撃する彼らの生活は過酷だ。
交通事故や、廃物処理の工場の仕事で大量出血や、頭蓋に穴のあくような大けがをしても、決して病院に行こうとしないウェストーバー家の人々。
日本で輸血を拒否して子どもを死なせた、という親のニュースが流れのは70年代だったか。
宗教との葛藤のような話で読んだ記憶はあるんだけど、こうしてその生活の一旦を買い見せられると、狂気としか思えない。
しかし、だからこそ、話に引き込まれるというのもあったと思う。
ちょうど、マンガ、『ONE PIECE』でも、鬼畜なエピソードの方が話が面白いようなものでさ。
ここで母親は死ぬんだろうか、とか、これで兄は死ぬんだろうか、とか、さらには爆発に巻き込まれて、ここで父親は死ぬんだろうか、など、絶対生き残れないようなぁという事故、ケガの場面が多々でてくる。
そこで彼らが頼るのは、母親が精製する薬草とかのアロマオイルだけだ。
でも、絶対死ぬでしょ、という場面でも彼らは生き残る。
消えない傷が残り、体に不自由が残ったとしてもね。
母親のアロマオイル、すげぇ、・・・ってそういう話じゃないのか。
著者、タラは末娘だ。
兄や姉がけっこういて、ときに救ってくれそうなそぶりもある。
なんだけど、ある場面で父親の横暴から救ってくれた兄は、別の場面ではタラの頭をトイレの便器に突っ込むような暴力にも及ぶ。
彼女の人生は、どこまでいっても、過酷だ。
17歳となり、って、そのあたりのやりとりも、ほんとに17歳だったのかわかんないんだけど、サラは学校へ行くことを考え始める。
学校に行かず、政府も病院も信用しない父親のもと、彼女の誕生日すら、親族によってちがう日にちをいうんだよね。
紆余曲折ありつつ、試験を受けて、大学の入学資格を得る。
17歳まで、学校に行く経験のなかったタラは、マークシートという試験の形式すら知らず、なかなか苦労する。
それでも入学資格の点数を取り、地元の大学に入るものの、そこでホロコーストについて質問され、知識がないことによってふざけているように見られてしまう。
常識がないとは、どういうことか。
タラは身をもって体験していく。
兄弟といっしょに父の仕事を手伝い、オイルまみれになって「ニガー」とからかわれて、いっしょになってゲラゲラ笑っていたタラ。
でも、学校で勉強したあとは「ニガー」という言葉の背後の歴史を知り、決して笑うことはできないとわかる。
幼いころからの苦労と、知りたいと思う欲求の強さ故だろうか。
家庭環境の過酷さに対して、学業はいつのまにかトントン拍子で進み、奨学金を得て、イギリスのケンブリッジに留学し、そのあとにはハーバードでドクターコースに進む。
このあたりのコントラストも、物語として引き込んでくれたのかもしれない。物語ではなく、著者の経験なのだろうけど。
一方で、学問の世界に進めば進むほど、家族との距離は開いていく。
やがて訪れる父との決定的な決裂。
このあたりは、なんというか、そこまで悩まなくてもさぁなんて思ってしまう。
日本人よりも、欧米人の方が家族に重みがあるのかもしれないなぁ、なんて感じるところ。
これを、逆境に生まれながら、努力によって世に出た女性の物語といっては、単純化しすぎるだろう。
自分の生まれた世界と折り合いをつけつつ、ときに別離を経験しながら、一歩一歩進んでいく人物の物語、といったところかなぁ。
面白かったね。
積読で終わらせないでよかった。
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