mixiユーザー(id:9783394)

2025年10月03日07:28

258 view

クルマ0500 大赤字(オートモ号)

アメリカの商務省が毎週発刊していたCommerce Reports(コマース・レポート)は、貿易や産業に関する情報を掲載する、1880年10月1日創刊の権威ある商取引報告書でした。
この公式の報告書は1928(昭和3)年に「日本のOTOMOというクルマは高く評価できる」という内容の記事を掲載しています。
100年近く前に自動車先進国アメリカが讃えたオートモは純日本製の乗用車で、セダン・フェートン(4座オープン)・ロードスターの3タイプのボディが用意されていました。

https://images.app.goo.gl/4CBW3gSTGUzp7a1N7

1904(明治37)年に蒸気自動車で始まった日本のクルマ生産は、3年後の1907(明治40)年からガソリン自動車が作られるようになりました。第1号は吉田信太郎のタクリー号です。

https://images.app.goo.gl/J9Yn3kDzhRSimwF49

その後いくつか例が見られますが、欧米メーカーの小規模ノックダウン生産(部品をすべて輸入して組み立てるだけ)に過ぎませんでした。そこで、本格的な国産車を標榜する26際の豊川順彌(とよかわじゅんや)というエンジニアが1912(明治45/大正元)年に白楊社という自動車会社を設立して夢に挑戦します(東京・巣鴨に確保した工場用地はなんと1000坪、とてつもない大金を要したでしょう。三菱財閥一族という素封家の彼だから可能だったと推察します)。
そして、自ら設計・製作した部品(もちろん国産)を使って私財をつぎ込んで意欲的に製作したクルマがオートモ号です。

https://images.app.goo.gl/22bEPTXaySzy1CR57

彼はまず、1915(大正4)〜1917(大正6)年にアメリカの自動車産業を視察しました。そして1921(大正10)年の終盤に試作車アレス号を完成させます。立派な仕様書が残されていますが、このまま生産しようとしたのかも?

https://images.app.goo.gl/T9ML4G83VPD9ebiS6

1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災でズタズタになった東京もアレス号試走の場に利用して生産型の開発を続けた結果、1924(大正13)年に空冷直列4気筒OHVエンジン(943cc9馬力または1331cc20馬力)をフロントに積み、3段ギヤボックスを介してリヤを駆動するオートモ号を完成させます。そして1924年11月15〜17日に発表会が行われました。時の総理大臣であった加藤高明が試乗する写真が残っています。

https://images.app.goo.gl/9XXSAVBCjQtzzEty6

小さな空冷エンジンを積むオートモ号(ラジエターグリル様の空気取り入れ口がありました)は、ホイールベース2032・全長3030・全幅1212mm、車重450 kgと車体も小さく、シャシーには前後ともリーフスプリングで支持されたリジッドのサスペンションが括り付けられていました。

1925年12月6日、東京で開催された第8回日本自動車競走大会に出場し、ゼッケン31の白いオートモ号が堺孝の操縦で準優勝(予選は1位)しています。
雨でぬかるんだ路面で実施されたこのレース、小排気量のオートモ号は小さくて軽いことを利して欧米のクルマと互角以上の走りを見せたそうです。

https://images.app.goo.gl/LLdWM3w74SdhuiPF7

しかし、絶対的なパワー不足は改善が求められ、1927年に水冷直列4気筒OHV1487cc(27馬力)エンジンに換装されました(車体も若干大型化されています)。

https://images.app.goo.gl/xSR6T8WkJLuyU4Cu9

それでも商業的には苦戦を強いられました。高価過ぎて売れなかったのです。
大卒初任給が70円ほどだった1924(大正13)年11月に1780円(今だと5〜600万円の感じでしょうか)で販売されたのですが、1925年にフォードが横浜で、1927年にGM(General Motors)が大阪で本格的なノックダウン生産を始めると、性能面で歯が立たないオートモ号は価格をドンドン下げざるを得ず、1927(昭和2)年3月には 985円にまでなっています。1台売る毎に数百円の赤字が出たそうです。

1924年6月〜1927年10月に526台のオートモ号が販売されました。加えて、1928年に在庫(展示用?)の1台を売っていますので、総生産台数は527台と言えるでしょう。現存はしていませんが、走行可能な復元車が国立科学博物館に展示されています。これは、1999年に国立科学博物館とトヨタ博物館が共同で1925年型フェートンを再現した車輌です。

https://images.app.goo.gl/4MWKgZR6jxNNQAZM7

https://images.app.goo.gl/Ebd3LzhtctQwGT2d9

https://images.app.goo.gl/nomXzaJzD6AUtKGk8

なお、オートモという名称は豊川家の先祖が「大伴」という姓であったから、と言われています。
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年10月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031