読んだ本とマンガは、ブクログで記録するようにしています。
8月1日から読んだ分が、
こんな感じです。
13×3で、39冊。
マンガも含めてですけど。マンガはすぐ読めちゃうからなぁ。
表紙に黒枠がついているのが、電子書籍で読んだもの。表紙だけなのが紙の本。
表紙の下についている星が、いわゆる星いくつってやつですね。
ピンクっぽい□がついているものは、レビューを書いたもの。
こうしてみると、レビュー書いていない本もけっこうあるな。
読んだとき面白くても、しばらくすると忘れちゃうので、レビューは書くようにしているんですけど、まぁ書いてても忘れますね。
ときどきこうして読んだ本を振り返って、記憶の掘り起こしもしたいところ。べつに忘れていけないわけでもないんでしょうけど。
『エイジング』というマンガは、技術によって若返ることができるようになった世界で、若いころに無実の罪で投獄された主人公が、80を超えてからエイジング処理を受け、若さを取り戻して真相を探るというマンガ・・・なんですけどね。
サブスクの会費で読めるので、楽しく読んでいますが、もはや主人公たちが80歳を超えているという設定が意味をなしてない気はします。
『スマホ時代の哲学』や池上彰の『ぼくはこんなふうに本を読んできた』は、けっこう楽しんで読んだ記憶はあるんですけど、すでに記憶が薄れ気味。レビュー書いてないんで、ちょっと読み返して、記録しておいた方がいいかな。
忘れてもいいんだけど、読んだものを少しは思い返した方が、自分の身になる気がするんだよね。
たしか、上に出てきた本の少し前に読んだ、ベネットの『自分の時間』という本にあった。
「
よく読むと同時によく考えよということである。 多くの本を読みながら、そのことがバターつきパンを切るのと同じ程度にしか、その人の人間性にプラスになっていない例を私は知っている。彼らが読書にふけるのは、酒好きが飲酒にふけるのと変わりがない。文学という国を、ただ動きまわることだけを目的に、車で走りまわっているに過ぎない。 そのような人間は、1年に何冊読んだかということだけを、やたらと吹聴したがるものだ。 自分が読んだものについて、少なくとも45分くらいかけて、注意深く、しんどくなるくらいに反芻してみないなら(最初のうちはおそろしく退屈なものだが)、せっかくの夜の90分も無駄に費やされたのだといっても過言ではあるまい。
読書は要するに、どんどん先へ読み進めてはいけないのである。 時間がかかることなど、気にすることはない。 終着点のことは忘れるのだ。現在自分のいる周囲の景色のことだけに注意を払えばよい。 そうすれば、おそらく予想もしないような時に突然、あなたは丘の上の美しい町に到着しているだろう。
」
読書はそのこと自体を楽しんですればいいんだから、ばたーつきパンを切るのと同じであってもかまわないじゃないか、という気もする。
一方で、ときどきふっと前に読んだ本を思い出して、あれって何の本だっけ?と気になることもあるのだ。
両方あって、自分の頭をつくっているところもあってさ。楽しんでいるなら、レビューを積み重ねるのもいいんじゃないかな。
ログインしてコメントを確認・投稿する