我が船橋市の隣の隣、松戸市には戸定(とじょう)公園という場所が有ります。
最後の将軍こと徳川慶喜の弟、徳川昭武がかつて居を構えていた屋敷跡が公園として公開されているのです。
行かねば!とはずいぶん昔から思っていたのですが、なかなか機会が合わずに漸く訪問が叶ったという訳です。
さて
先ずは徳川昭武氏。
将軍徳川慶喜の弟という事で、当然烈公こと徳川斉昭の子という事になりますが、慶喜とは異母弟であるよう。
そして慶喜が一橋家に入り後に将軍となったのに対し、昭武氏は同じ御三卿をの清水家を継ぎ、後に最後の水戸藩主となりました。
10代半ばでパリ万博にて将軍慶喜の名代として渡仏、ナポレオン三世とも会っていたそう。
私としては弁論逞しい割に軟弱な傾向の兄慶喜と異なり、昭武はなかなかの甲骨漢という印象です。
もちろん実際の人となりは不明ですが…
さて
松戸駅から徒歩10分弱といったところでしょうか。
この辺りは小高い丘となっており、その丘を千葉大園芸学部と分け合っているような位置となります。
門を潜るとすぐ先の右手が戸定邸、左手が戸定歴史館ですが、歴史館の方は残念ながら休館中。
来週辺りから催しが有るようですから、搬入陳列などの期間という事でしょうか。
戸定邸はもちろん公開中です。
後から増築されており、平屋造りながらさすがの広さ。
浴槽こそ狭いですが…
南側は庭園、
西側は高台の先を見通すようになっています。
風のせいかガラス戸がガタガタしていましたが、この時代の事ですからね…
欄間の蝙蝠は、幸福を運ぶという意味なのだそう。
庭園自体は入れないようですが、公園内も歩いてみます。
先ほどは室内からこちらを眺めておりました。
数十分前の自分と目が合ったかも!
こうした貴重な史跡を保存するだけでなく、ちゃんと公開してちゃんと説明していくという事は、実に大切な事です。
いつも思いますが、松戸市にとっての戸定邸、市川市にとっての里見公園や手児奈霊堂など、市民に親しまれるような形で保存運営されている船橋市の史跡って無いなぁ…何故?
船橋市で誇るべき史跡と言えば、先ずは明治天皇駐蹕之處碑。
この地で行われた演習の際、明治天皇が行幸され、そして「習志野」の名前を付けられました。
それは船橋市ではなくて習志野市だろうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、色々な事情が有り(長くなるので省略)、その習志野の名が付けられた場所の中心は船橋市なのです。
現在でも第一空挺団の駐屯地が船橋市なのに習志野と付いているのもその名残でしょうか。
この駐屯地内には空挺館という貴重な資料が保存されている場所も有るのですが、駐屯地内という事で、気軽に見学という訳にいかないのは残念。
次に「日本一小さい」東照宮。
日本一〜については異説も有るようですが、ここはかつて徳川家康が築いた船橋御殿の跡。
ここを起点に、鷹狩りの地である東金までほぼ最短距離で向かう為の道を突貫工事で整備させたのが、東金御成街道です。
これほど素晴らしい史跡であるのに、船橋市では東照宮も御成街道も殆どPRしておらず、周囲に案内や説明板なども見た記憶が有りません。
おそらく船橋市民でも知らない人の方が多いかも?
拙宅近くに有る郷土資料館も、屋外にD51が展示されているのは良いですが、建物や設備的には些か見劣りするような…
新船橋駅近くに飛ノ台遺跡資料館も有るので、或いはどちらかに一本化した方が良いかもしれません。
船橋市は比較的財政的に健全な自治体なのに、周辺自治体と比べて、歴史や文化の保存や広報への熱意が薄いと感じています。
人一倍船橋に愛着を持ってはいる私ですが、それは郷土としての船橋であり、歴史や史跡を大事にしない自治体の船橋市への愛着とは限らないよ…と。
船橋が好きだからこそ、苦言を呈してみました。
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