5月27日の日記で、岡山県高梁市に行った話を書いた時に、
留岡幸助の事は別途書くと書きましたが、ついつい遅くなってしまいました。
留岡をご存知の方も少ないかと思いますが、
日本の社会福祉の先駆者で、
感化院(後の教護院、現在の児童自立支援施設)教育の実践家です。
留岡は、1864年4月9日(元治元年3月4日)に現在の高梁市で生まれています。
19歳だった1882年に、日本組合基督教会高梁基督教会堂で洗礼を受けました。
この教会堂が現在の建物かと思っていましたが、
1889年(明治22年)の建設との事ですから、建物は違いました。
1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけてアメリカに留学し、
感化事業を学びました。
帰国後、東京府の巣鴨監獄で教誨師を務めながら、感化院設立のために奔走し、
1899年(明治32年)、現在の豊島区に、民間感化院「家庭学校」を設立しました。
この「家庭学校」は、現在は児童養護施設となり東京家庭学校として続いています。
1914年(大正3年)、「流汗悟道」の信条のもと、
大自然の中での農作業などの労働体験を通じて感化事業を行うため、
北海道遠軽町に130万坪(439ha)の広大な国有地の払い下げを受け、
東京家庭学校の分校として、北海道家庭学校を創設しました。
何故、ここまで留岡幸助について書いて来たかと言うと、
僕は、1988年(昭和63年)にこの北海道家庭学校に行った事があるからです。
北海道家庭学校は、10数人の児童が1つの寮で生活し、
教護の夫婦やその家族と一緒に生活する夫婦小舎制を行っています。
この時は、ある寮に泊めてもらって2泊3日で児童たちと共に生活をして来ました。
児童たちは、午前中勉強し、午後は農場などで働きます。
留岡の理念に基づき、野菜作りや環境整備、敷地内の土木作業、山林作業、
除雪、炊事など、生活に必要な作業活動を
児童と職員・家族が共に取り組む生活を教育活動の中心に置いています。
児童が作った枝豆は、見た目は綺麗ではありませんが、
味が濃くてとても美味しかったのを覚えています。
当時の校長は、谷正恒先生でした。
家庭学校の敷地内には、1919年(大正8年)に建てられた礼拝堂があります。
現在は北海道の有形文化財になっていますが、
素朴な感じですが、とても厳かな気分になります。
その礼拝堂で、谷先生から教護事業の様々な事を話して頂きました。
たまたま、帰る日が5日だったので、
敷地内にある平和山に登り、留岡幸助の遺髪を納めた記念碑の前で黙祷し、
讃美歌を歌って来ました。
家庭学校の本館の前に留岡の胸像があり、
その下に「一路到白頭」との文字が刻まれています。
「一路白頭に到る」は留岡の言葉で、1つの事に生涯をかけるとの意味です。
先日、高梁市に行った時に、この言葉を思い出し、
僕は真逆の人生だったなぁと思いました。
北海道家庭学校のHPは下記ですので、ご参照下さい。
https://kateigakko.org/new/index.html
なお、明日は所用により、日記などを休ませて頂きますので、
お含み置き下さい。
【今日の一句】
活躍し 頑張り過ぎて 腰痛め
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