今朝の報道によると、13日の夜、菅総理は無派閥の若手議員と会食し、
出席者が「衆院解散はいつですか」と問うと「常在戦場だ」と答えたとの事です。
また、自民党の二階俊博、公明党の石井啓一両幹事長が今日、
東京都内のホテルで昼食をともにしながら会談し、
二階氏は席上、衆院議員の任期満了まで残り1年となったことを踏まえ、
「常在戦場だ」と指摘したとも報じられています。
総選挙が近付くと、よく使われるのがこの常在戦場の言葉です。
この言葉の由来など、2014年11月15日の日記に書きましたので、
ご記憶方もいるかも知れませんが、既に6年が経過していますし、
その後からお付き合い下さっている方もいますので、書いておきます。
この「常在戦場」は、越後長岡藩の家訓として伝えられた言葉です。
長岡藩主牧野家は1618年に長岡に入りますが、
元は、三河国牛久保出身の譜代大名でした。
三河武士としての矜持を忘れない事を目的としたのでしょう、
牛久保の壁書と言う家訓を残します。
壁書は全部で18か条からなり、
その冒頭に、「常在戦場の四文字」の言葉もあります。
長岡藩は、戊辰戦争の際に、官軍にも幕府軍にも組みしない中立を守ろうとします。
これを画策したのが河井継之助です。
しかし、官軍に受け入れられず、戊辰戦争中最大の激戦である北越戦争になり、
城下町は焦土と化します。
戦争後、支藩である三根山藩から見舞いとして米百俵が送られますが、
その時の長岡藩大参事小林虎三郎は、この米を藩士らに分配せず、
国漢学校設立資金の一部に充てます。
小泉元首相が、施政方針演説の中で例に引いた事から、有名になりました。
しかし、この故事は、作家山本有三の戯曲「米百俵」によって
広く知られるようになった話です。
「米を分けろ」と詰め寄る藩士らを前に、
長岡藩の気風「常在戦場」の書幅を背にして
小林虎三郎が教育へ寄せる思いを熱く語る、
戯曲「米百俵」の一番の見せ場となっているそうです。
越後長岡出身の軍人として、海軍大将の山本五十六がいます。
太平洋戦争の当時、連合艦隊司令長官として、
真珠湾攻撃などを指揮した人物です。
山本五十六は、長岡藩の上席家老山本家の養子に入った人です。
そのような事から、この常在戦場をやはり好んでいたようです。
山本五十六が揮毫した書が何点か残されています。
2018年7月3日に長岡市に行った際に、山本五十六記念館にも行きました。
そこでも、山本が揮毫した「常在戦場」の軸を見ました。
この常在戦場の言葉を政治の場に持ち込んだのは誰かと言うのが気になります。
越後長岡の政治家と言うと、田中角栄を思い浮かべます。
田中角栄は、現在の柏崎市の出身でしたが、長岡は地元のようなものでしょう。
僕は、彼が政治の場に持ち込んだような気がするのですが、いかがでしょうか?
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