時は今
雨が下しる
五月かな
と言えば、明智光秀が本能寺の変の前、連歌の会で読んだと言われる発句です。
連歌ですからこの後も下の句、上の句がずっと続くのですが、この句をもって、源氏である土岐氏出身の光秀がこれから天下をとりに行くという意思を明らかにしたもの…といった解説がされています。
さて
その土岐氏というのは、戦国時代になるとすっかり存在感を無くしてしまいますが、室町時代初期には、美濃国の守護大名として大きな力を持っておりました。
中でも土岐頼遠は戦に強く、北畠顕家の奥州軍と青野ヶ原で戦い、京都への浸入を阻止しました。
しかし、そうした武功に思い上がりが有ったのか、光厳上皇の列に対して矢を射かけるという事件を起こして斬首されます。
そして時代は下り、斎藤道三によって土岐頼芸が追放され、美濃国の守護大名土岐氏は消滅しました。
しかし土岐の一族には房総半島で活躍した一派もいたよう。
この時代、関東は鎌倉公方と関東管領が争い続けており、そんな中、公方の命によって送り込まれ、勢力を広げた武将がいました。
長い間、結城の戦いの落武者と言われていた里見氏も、最近はそのように言われていますし、上総には甲斐武田氏の一派が真里谷、庁南に城を築きました。
そして大多喜町の万喜城(まんぎじょう)を根拠に活躍したのが、為頼、頼春らの土岐氏です。
頼春は、里見軍を撃退した発坂峠の合戦などで、名将と称えられているのだとか。
現在公園として整備されている万喜城ですが、漢字は異なるものの、やや西側に有る万木城カントリークラブにその名が残っています。
新年初のトレイルメンテの後に寄ってみました。
いすみ鉄道国吉駅近くから城山方面へ向かうと、城址公園に立つ城郭風展望台が見えてきます。
クルマを駐めて坂を登って行くと、木々の隙間から…
そして坂を登りきると、いよいよ間近に。
展望台の上からは、房総の山々を望めます。
反対側はこんな感じ…かつてタワーでも有ったのでしょうか?
さて
時間を戻して、この日のメンテはなかなか順調で、7人で倒木を退かしながら進み、年末に上から来て引き返した大崩落地まで登って来ました。
あとはこの場所をクリアすれば、この道も開通です。
開通と言っても、乗車で通過は出来そうもありませんが…
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